閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

濱口竜介『寝ても覚めても』(2018)

netemosametemo.jp

----

濱口竜介監督の『ハッピアワー』は5時間17分の大作だが、神戸を舞台にしたこの作品は私にとっては特別に愛着がある作品で、4-5回見ているはずだ。ここ2年は年末に神戸の元町映画館で『ハッピーアワー』の上映を見るのを帰省の楽しみにしている。

寝ても覚めても』は濱口竜介の初の商業映画で、純然たる恋愛映画だ。運命的な愛に固執する主人公の女性の姿は、ロメールの『冬物語』(ロメールの作品のなかでも最も好きな作品の一つだ)を連想させた。今、書いて気づいたことだが、心理のゆれの繊細な描写という点で、濱口の作品にはロメールを想起させるところがある。ただロメール諧謔、優雅さ、軽やかさは濱口には乏しい。濱口の映画の人物は不器用で内省的だ。

濱口の映画で何が感動的かと言えば、彼の映画の人物たちが真実を生きようとするところ、そして彼らの行動に真実を引き受けようとする真摯な覚悟が感じられるところだ。
寝ても覚めても』の展開や人物の行動には不自然で強引なところはあるし、その台詞はときに過剰に説明的だったり、文学的だったりする。しかしこうしたリアリティからの逸脱は、彼らの真実を映画の物語のなかで引き出すための仕掛けだ。嘘に嘘を重ねることで、はじめて表現可能になる真実というのがある。

真実は他者を傷つけ、自らを傷つける。傷つけ、傷つけられることをまっすぐ受けとめ、自らの責任において引き受ける覚悟をする濱口の映画の人物たちの行動は美しい。
私たちの日常は欺瞞に満ちている。私たちの多くは欺瞞のない世の中の苛酷さにはおそらく耐えることができないだろう。
できる限り正直に生きたいと思っている私は、自分の周りの欺瞞を呪いつつ、それをある種の必要悪として受け入れて生きている。

だからこそ、たとえフィクションのなかであっても、そこで真実が語られていることに激しく心動かされてしまうのだ。

ゆりの木団地夏祭り2018

https://www.instagram.com/p/Bm7-PvdhVBR/

板橋区のゆりの木団地、夏祭り2018。これが毎年、夏の締めくくり。ベーシスト、西村直樹が率いるワイルドグリーンズのライブ。

--

東京都板橋区赤塚新町にある光が丘パークタウンゆりの木通北団地の夏祭りに行ってきた。毎年8月の最終週の土日に行われる。板橋区練馬区の区境にあるゆり北団地は賃貸と分譲が混在する700戸ほどの規模の団地だ。築35年で住民の高齢化はかなり進んでいる。

この団地の夏祭りは団地の自治会の主催になる。団地ができた当初から行われているのだが、櫓を組んでの盆踊りではなく、仮設ステージでの音楽ライブが行われるのが特徴だ。12年ほど前からだと思うが、団地住民ではないが地元在住のベーシスト、西やんこと西村直樹が、彼のバンド、ワイルドグリーンズとともにこの夏祭りに出演するようになった。以後、西やんを中心に夏祭りのライブが年々進化していったのだ。f:id:camin:20180826182253j:plain

最初はワイルドグリーンズのライブだけだったのが、西やんが知り合いのミュージシャンに声をかけ、ライブが拡大していった。シャンソン歌手のソワレさんがこの夏祭りに参加するようになったのは、7−8年前からだと思う。そのあと地元のオーケストラが出演するようになり、そのオケが西やんのバンドと部分的に一緒に演奏するようになった。地元のバレエ教室の子供たちをステージにあげ、音楽に合わせて踊らせたときもあった。団地と団地周辺の老若男女たちはこの破天荒で自由なライブに熱狂し、夏祭りは年々盛り上がっていった。

このようにしてゆりの木夏祭りは、団地の夏祭りとしては異色の老若男女を巻きこんでの地域住民熱狂ライブ祭りになっていった。

昨年からは団地住民に夏祭りのためのアマチュア合唱団の結成が呼びかけられれ、オケの指揮者の池田開渡さんが合唱団を指導して、夏祭りでゆりの木スペシャルオーケストラ+西村直樹とワイルドグリーンズ+地元バンド+ゆりの木合唱団の合同演奏で、第九の演奏を夏祭りのフィナーレでやるようになった。これが実に感動的だった。夏祭りの会場は団地の二つの棟の狭間の細長い空間である。そこに押し寄せた聴衆たちの盛り上がりようと言ったら。

今年のフィナーレはこのゆりの木夏祭り第九の第二回となった。昨年より合唱団員の数は増えている。天候にも恵まれ、トリ前の西やんのワイルドグリーンズのライブのころから祭り会場は人でいっぱいになった。

野外、それも団地の建物の間の路上で、フルサイズオーケストラの演奏が行われるなんてそうそうないだろう。聴衆は地域の住民。酒が入った人も多く、はじまる前からかなり盛り上がっている。このゆりの木スペシャルオケに参加する正装の演奏者の顔もなんか嬉しそうだ。こんな環境で演奏する機会は彼らにとってもそうそうない。

オケの準備が整い、指揮者の池田開渡さんが現れると、既に彼はこの夏祭りのスターなわけで、聴衆たちは大喝采を送る。最後の第九演奏の前に、まずオケだけでエルガーの《威風堂々》、ボロディン《韃靼人の踊り》。それから地元のギタリストとトランペット奏者をソリストとして迎えて《アランフェス交響曲》の第二楽章。これはかなり大胆なアレンジが加えられたものだった。

それからワイルドグリーンズ、地元バンドのマヤン&シモベーズ、そしてゆりの木合唱団とゆりの木スペシャルオーケストラによる《ゆり北第9》が始まった。

f:id:camin:20180826200014j:plain

始まる前からその素晴らしさを予感してどきどきする。写真に写っているビニール傘は、手作りの集音マイク。野外の祭りでの演奏なので、マイクがないと音が聞こえにくいのだ。音響も地元の人間がやる。
合唱隊が登場すると会場は大いに盛り上がる。そして終演時の一体感、盛り上がりと言ったら!こんな親密な雰囲気の演奏会なんてそうそうあるものではない。本当に乳児から老人まで、様々な年齢層の住民がこのライブを心から楽しんでいるのが伝わってくる。

今年はアンコールがあった。エルガーの《威風堂々》のさびの部分がもう一度演奏される。聴衆もハミングで演奏に加わるように指揮の池田さんからうながされる。驚異的なもりあがりと高揚感のなか、祭りは終了。

ゆりの木団地夏祭り2018、フィナーレは《威風堂々》のサビをオケの演奏に合わせて聴衆も合唱。しびれるわ。最高。

私のとなりで立っていたひとが「あー、楽しかった」とつぶやいていた。

東京の端っこにある小さな団地の夏祭り、でもこの夏祭りは本当にすばらしいものだ。最高。

ゆきゆきて、神軍(1987)

ゆきゆきて、神軍(1987)

  • 上映時間:122分
  • 製作国:日本
  • 初公開年月:1987/08/01
  • 監督: 原一男 
  • 製作: 小林佐智子 
  • 企画: 今村昌平 
  • 撮影: 原一男 
  • 編集: 鍋島惇 
  • 助監督: 安岡卓治 
  • 出演: 奥崎謙三
  • 映画館:渋谷 アップリンク
  • 評価:☆☆☆☆☆

www.uplink.co.jp

----

1987年にこの作品が渋谷ユーロスペース(当時は今とは別の場所にあった)で上映されたとき、私は大学一年だった。私より前にこの映画を見た同じサークルの友人が憤りながら次のように言っていたことを覚えている。

「あんなとんでもないおっさん初めて見たわ。病気の人間を殴りつけているんやで。もう無茶苦茶な奴だよ」

この特異すぎるドキュメンタリーは公開当時おおいに話題になり、渋谷ユーロスペースは連日超満員だったようだ。

この映画の公開前から、神戸出身の私は奥崎謙三のことは知っていた。衆議院の兵庫一区から奥崎は立候補していて、その選挙活動中に殺人未遂事件を起こしたことは大きく報道されていたからだ。兵庫一区は私が居住している選挙区だった。高校生だった私には投票権はなかったが、選挙報道が好きだった私は、奥崎の奇矯な政治的主張も印象に残っていた。「けったいなおっさんがおるもんやなあ」と思っていたのだ。この殺人未遂事件が、終戦後にニューギニアで部下の処刑を先導した下士官、古清水への奥崎の制裁行為だと知ったのは、この映画を見たときだったが。

ロードショー公開で見て以来、3、4回は『ゆきゆきて、神軍』を見ているように思う。今回はたぶん十年ぶりぐらいでこの作品を見た。すでに何度も見ている作品にもかからず、やはりずんと重量のある鈍器で胸を強打されたような衝撃を受ける。奇跡的な傑作だ。

奥崎のエキセントリックな言動、過剰でえげつない自己演出には辟易としつつも、それでも私は奥崎の戦争に対する責任の取り方、取らせ方、その思想と行動の一貫性、欺瞞の追求態度には、共感するところがある、そして自分がこの映画における彼のふるまいに影響を受けたところがあることを確認し、居心地の悪さを感じた。

私がこれまで見た戦争についてのフィクションやノンフィクションで、『ゆきゆきて、神軍』ほど戦争が人間にもたらす恐怖と無残さとおぞましさをリアルに生々しく感じさせる作品はない。

神戸の下町、板宿の商店街の小料理屋のおやじの告白場面がある。人のよさそうなごく普通の雰囲気のおじいさんだ。彼は奥崎に促されるままに、戦地で飢えた兵士たちが「白豚」、「黒豚」という符号を使って人肉を食べていたことを淡々と語る。南方の戦地で飢えに苦しんだ兵士たちが人肉を食べていたという事実は、大岡昇平の『野火』などのテクストを通しては知っていた。しかしその人肉を食べる壮絶な戦争体験を当事者が自分のこととして語るのを映像で見るインパクトは強烈なものだった。それを語るおやじは、板宿の商店街の小さな店の好々爺といった感じの人物なのだからなおさらだ。

奥崎が追い詰めた元兵士のなかで、もっとも良心的で常識的に思える埼玉在住の山田吉太郎から引き出した告白は、実はもっとも陰惨なものだった。連隊の唯一の生き残りとして日本に帰還した彼は、飢えを満たすために仲間の兵士のなかで「利己的なふるまいをするもの、役に立たないもの」を共謀して一人ずつ殺し、食していた事実を語るのだ。
奥崎の暴力と恫喝を通して、かつての兵士たちは部下の非合法的処刑(戦時の法にあっても)、人肉食といった事件に口を開き、自己弁明を行うが、その様子は、そのような苛烈な追求のなかでもなお語られなかった陰惨な事実を想像させるものだった。自己保身のために過去に自分が関わった行為のおぞましさを、「私だけでない、他の人も傷つけるから」と口のきけない死者たちの名誉を守ることを口実に、封印する行為は、人間的と言えるかもしれないが、卑劣な態度だ。

奥崎は敢えて暴力的な手段を使って、かつての兵士たちの傷をむりやり押し開き、大量出血させる。奥崎に果たしてそういう権利はあるのか。奥崎の言っていることはある意味、正論なのだ。戦場から生き残った者たちは過去のおぞましい行いを明らかにすることで自らを裁き、そのことが今後の戦争抑止につながるであろうという主張である。しかし奥崎独自の正義を掲げつつ行われるカメラという武器を使っての追求は、彼のグロテスクな自己顕示と自己陶酔と表裏一体であることがあからさまであるだけに、見ている私の心はぐらぐらと激しく揺さぶられてしまう。

 

平原演劇祭2018第3部 移築民家とアタラシイ「ゲキ」15『戊辰150年、夏。』

twitter.com

f:id:camin:20180805120007j:plain

  • 【日時】2018年08/05(日) 12:00-18:00 
  • 【場所】宮代町郷土資料館内旧加藤家住宅および久喜市香取公園。観劇無料
  • 【上演演目】
    http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1967150234&owner_id=4324612より)
  • 嵐ヶ丘抄』1986年に東大の冥風過激団によって宮城聡演出・主演で上演された政治ロマン劇。一幕のみ。全幕上演は9月と10月に!
  • 『夢の光源」』一昨年、一場のみ同じ加藤家で発表しました作品の完全版。壇ノ浦合戦で敗走した藤原景清の故事と、1992年頃のジャムー・カシミール紛争のことなど。

  • 『空木(うつぎ)』 宮代町の作家、島村盛助による宮代町が舞台の短編小説。東京で修行してきた若者が田舎で開業して退屈するハナシ。ややホラーかも。明治と大正の境目ごろに書かれたらしい。

  • 『逃(タオ)』 5幕ものの書き途中の1幕目。バンクーバーの米加国境ポイント・ロバーツで先住民の残像を呼吸するふたりの白人の出会いと別れ。

  • ゴジラ vs.スーパーX』

  •  『お富の貞操彰義隊戦争を明日に控えた上野の住宅地で、置き去りになった猫を引き取りにくる女中と、家宅侵入していた乞食の交感。芥川龍之介作。

f:id:camin:20180805154511j:plain


--
以下二作は、会場を移し、久喜市香取公園にての上演。

  •  『朝敵揃』 平家物語より。ゴイサギの名の謂われです。昨年は深夜奉納でやりましたが今年は夕方!

  • 『誰も練ってはならない』 高野竜作。再々演です。プッチーニではありません。東京都迷惑防止条例で大道芸が取り締まられたことに関して。

  •  【出演】角智恵子、森かなみ、冬岸るい、嵯峨ふみか、宮崎まどか、山羽真実子、橙田かすみ、空風ナギ、教仙拓未、小関加奈、山城秀之、最中、中沢寒天、青木祥子、高野竜

-----------

年に4-5回開催される平原演劇祭だが、そのうち一回は宮内町郷土資料館敷地内にある古い日本家屋、旧加藤家を会場に行われる。ここ数年、加藤家での公演は9月が多かった。
平原演劇祭は上演場所の空間的特性を取り込んだ演出がその特色の一つだが、茅葺き屋根で縁側と土間を備えるこの住居での公演は、9月よりもむしろ7月-8月の夏の盛りに、周囲の蝉の声を聞きながら行われるのがよりふさわしいのではないかという気がしていた。

昨年の公演の際に主宰の高野竜さんに「なんで加藤家での公演は9月なんですか? 8月のほうがよさそうなのに」と聞いたところ、「いや〜、何回か8月にやったことはあるんですが、あまりにも暑すぎて」という返事だった。

ところが今年は9月6日〜9日に北千住のBUoY、10月7日に筑波大学で公演を行うためか、8月最初に加藤家で公演を行うことになった。

f:id:camin:20180805115302j:plain

写真のとおり、茅葺き屋根で、部屋を取り囲む縁側で障子を開けると風が通り抜ける加藤家は通気性抜群でいかにも涼しげではある。しかし35度越えの気温には、この涼しげな構造も役に立たない。昨日は建物を通り抜ける風もなかった。もっとも風があったところで熱風だったかもしれないが。茅葺き屋根の和式伝統住宅といえど、屋内もうだるような暑さ。

f:id:camin:20180805122614j:plain

クーラーのないこの家屋の32畳の空間に、演者15名を含めると40名ほどの人間が、平原演劇祭のために集結した。とにかく暑かった。団扇が用意されていたが、あまりに暑すぎて、うちわで扇ぐ気にさえなれない。用意されていた座布団が座っていると汗でじっとりと濡れる。会場が汗臭かった。私はフランスから木曜夜に帰国したばかりで時差ボケもあった。時差ボケと暑さでぼんやりしたなかでの観劇となった。上演開始は正午、加藤家住宅での上演終了が午後4時前。途中30分ほどのスイカ休憩があった。

f:id:camin:20180805141306j:plain

加藤家での上演演目は、上記にあるように宮城聰主演・演出で1980年代に冥風過劇団で上演された『嵐が丘』の抜粋を軸に、いくつかの小篇が『嵐が丘』を分断するかたちでシーム—レスに上演されるというものだった。『嵐が丘』は、英国の作家、エミリー・ブロンテの作品ではなく、80年代に冥風の座付作家だった花岡敬造による戯曲だ。ブロンテの小説にも言及はあるが、まったく別の話で舞台は昭和初期の満州である。今年の平原演劇祭ではこの『嵐が丘』を今回の加藤家公演のほか、9月のBUoY、10月の筑波大学で上演する。俳優と配役は変わるし、上演場所によって演出も当然大きく変わるはずだ。BUoYは無照明上演とのことで、観客に懐中電灯持参が呼びかけられている。

f:id:camin:20180805130414j:plain

上演演目については、このブログ記事の冒頭を参照頂きたい。今回は珍しく、上演演目についての解説が高野竜氏によって事前になされている。高野竜の作品の言葉は詩情に満ちた美しいものなのだけれど(彼の作品の大半は

mixi.jp

で参照することができる)、それらが上演されるときは上演空間と俳優の特性を巧みに利用した演出上の創意に気を取られ、上演中に語られている言葉のほうには意識があまりいかないことが多い。いくつかの作品が、間に挿入され、筋が分断されたり、今回の「ゴジラ」登場のような馬鹿馬鹿しいギミックのインパクトが強烈だったりして、実際のところ何が展開しているのかよくわからないことが多い。後から思い出すと、いくつかの印象的な情景が言葉とともに記憶に残っているという感じだ。今回は暑さと時差ボケによって、その印象はいつも以上に朦朧としたものになってしまった。

f:id:camin:20180805150517j:plain

「暑いなあ、かなわんなあ」と思いながらぼーっと見ているうちに、熱気がこもるこの薄暗い日本家屋のなかで、32畳の正方形の空間をぐるりと観客が取り囲んで演劇の場を作り、そのなかで何かが行われていることを眺める時間を共有していること自体が、今回の公演では重要であるような気がしてきた。

観客も暑かったが、ゴジラの着ぐるみや劇中の設定上、冬服を着込んだままで演技を続ける俳優たちはもっと大変だっただろう。暑さのなかでかげろうが立ちのぼっているかのような朦朧とした感覚のなかに、いくつかの場面が豊かな詩情とともに浮かび上がる。

f:id:camin:20180805132809j:plain

15人の俳優のうち、男性は朗読を担当した高野竜と俳優2人の3人だけで、他はみな女優だ。しかもその大半は20代のまだ若い女優である。若い女優たちが男装し、畳間でどたばたと動きながら演じる『嵐が丘』は、小学校の頃、学校図書館で読んだ挿絵入りの江戸川乱歩の小説の世界をなぜか想起させる。

f:id:camin:20180805121925j:plain

畳の縁を国境線に見立てた『逃(タオ)』 は「5幕ものの書き途中の1幕目」とのことだが、小柄な女優、小関加奈の可愛らしさ、ぴんと糸を張ったような芝居の緊張感が印象的だった。

f:id:camin:20180805132014j:plain

とにかく屋内が暑かったので、休憩中に屋外で食べたスイカが異常においしく感じられた。私はもともとはスイカはあまり好きな果物ではない。小学生のころは、「カブトムシの好物」というイメージと種を出すのが面倒で、スイカは嫌いな果物だった。今も手と口がべちょべちょしてしまうのが嫌でスイカは夏に一二回しか食べないのだが、昨日はたくさんスイカを食べた。あんなにたくさんスイカを食べたことはこれまでなかったかもしれない。

f:id:camin:20180805142546j:plain

午後4時前に平原演劇祭2018第3部の旧加藤家での「第1部」は終了。希望者は車に分乗するなどして、そこから10キロほど離れた久喜市の香取公園(「かんどりこうえん」と読むらしい)で行われる「第2部」会場に移動した。第1部の出演俳優も含め、20名ほどが第2部会場に移動した。

香取公園は高校とショッピングセンターのそばにある。もともとは洪水などの被害を防ぐための遊水池なのだそうだ。そこに数種類の鷺が住み着き、鷺の群生地になっている。この香取公園で昨年の平原演劇祭では、深夜に奉納舞踏と朗読の公演が行われた。この模様は以下の記事で報告している。

otium.hateblo.jp

今年は夕方に、青木祥子による一人芝居『誰も練ってはならない』と高野竜による朗読『朝敵揃』 が上演された。

f:id:camin:20180805221014j:plain

『誰も練ってはならない』は、香取公園内の遊歩道を青木が自転車で走りながら演じる。25人ほどの観客はぞろぞろとその後ろを着いていく。普段は付近の住人の散歩道となっている公園内道路だ。そこを集団でゾロゾロと歩くのはあまりにも怪しいので、一応「探鳥の会」ということにしておいた。実際、青木が演じているときに、道の向こうから犬を連れた散歩の女性がこちらの様子を見て固まっていた。

f:id:camin:20180805175457j:plain

f:id:camin:20180805175809j:plain

高野竜の『朝敵揃』 は、『平家物語』からの抜粋だ。この場所が鷺の群生地となった由来の説明をしたあと、高野竜は高野の息子が書いた筆書きの巻物を、鷺の群生地の前で朗々と読み上げた。第3部の「第2部」の上演時間はあわせて20分ほどだった。

f:id:camin:20180805180330j:plain

このあとすぐそばにあったショッピングセンター、アリオ鷺宮で打ち上げが行われたようだが、私は疲労のため、ここで帰った。

 

「演劇×介護×子育て」ナイト #2 原サチコ講演会@リトルトーキョー

清澄白河にあるイベントスペース、《リトルトーキョー》で行われた竹中香子さん企画のイベント
「演劇×介護×子育て」ナイト #2
に行ってきた。ドイツの公立劇場で女優として活動を続ける原サチコさんに、「演劇と子育て」について聞くというもの。

f:id:camin:20180803193702j:plain今30歳で、フランスで舞台女優をやっている竹中香子さん自身が子供を近いうちに持ちたいという強い願望を持っていて、今日の企画を思いついたという。

原さんは1999年からドイツで演劇活動を行っている。ドイツ人男性と結婚し、2001年に男の子を出産するが、子供がまだ幼いうちにドイツ人男性とは離婚。以後、シングルマザーで子育てをしながら、ドイツ、オーストリアのいくつかの公立劇場で女優として活動してきた。子供は今、17歳だと言う。
原さんについてはドイツでの活躍ぶりは目にしていたが、私は彼女の舞台を見に行ったことがなく、どんな女優でどんな人なのかはよく知らなかった。日本人・アジア人女優がいなかったドイツで、シュリンゲンジーフ、シュテーマン、ポレシュといったドイツ演劇の先端を行く著名演出家に認められチャンスをつかみ、順風満帆の舞台人生を送っている人、というイメージだった。

f:id:camin:20180803195346j:plain

 彼女がドイツに渡ったのは35才のときである。女優としても、女性としても「崖っぷち」の年齢だ。シュリンゲンジーフの演出舞台が好きで、彼の演出作品に出演することを熱望してドイツに渡った。そしてその夢を実現させ、シュリンゲンジーフの舞台にも出演できた。ドイツ人男性と恋に落ち、結婚し、男の子を出産した。「よし、これでドイツでやっていけるんじゃないか」と思っただろう。しかし2001年〜2004年の最初の4年間、彼女はドイツの劇場で年に一本しか作品に出演できていない。アジア人俳優など当時のドイツには入る余地は例外的にしかなかったのだ。
明日が見えないこの時期、彼女のドイツ人の夫は彼女の苦境に理解を示してくれず、彼女はドイツでよるべなき異邦人となってしまう。しかし今さらおめおめ日本に帰ることもできない。この時期の彼女のことを想像すると、胸が押しつぶされるような思いだ。
2004年にドイツ人男性と離婚した彼女は、いろいろとつてをたどって女優としての仕事を探すがこれがそうそう見つかるものではない。彼女を女優として認めていたシュリンゲンジーフが強く推してくれたおかげで、2004年にようやくウィーンの劇場に専属俳優として契約することができた。ただし1年のみの契約。息子と二人でドイツで女優として暮らしていくには、劇場専属俳優の道しかない。彼女は女優しかできない人間なのだろう。レパートリー制のドイツ語圏公立劇場で、彼女はウィーン・ブルク劇場での最初の一年に4作品に出演する。崖っぷちの状況でこの劇場との契約にかけていた彼女の芝居は、鬼気迫る壮絶なものだったはずだ。一年目で劇場の芸術監督の信頼を得た彼女は、以降2008-09年のシーズンまでウィーン・ブルク劇場の専属女優として15作品に出演する。
ウィーン時代には子供はまだ幼かった。ベビーシッターに預けるお金がなかった彼女は、劇場で仕事がある日はほぼ毎日子供を劇場に連れて行ったそうだ。劇場のスタッフの女性の一人が彼女が稽古や出演のあいだ、子供の面倒を見てくれたと言う。
ウィーン・ブルク劇場での5年の後、ハノーヴァー、ケルン、ハンブルクドイツ国内の公立劇場の専属俳優として活動を続ける。日本で公演を行うようになったり、講演などが増えてきたのは、2013年にハンブルクの劇場で専属俳優として働きはじめてからのようだ。
親子・家族関係というのは人それぞれではあるものの、シングルマザーと女優の両立のモデルとしては、原さんのケースはあまりにも特殊すぎる。ドイツの公立劇場の看板女優としてのポジションを確実にし、子供が17歳になった今だからこそ、過去を振り返って「よく乗り越えたものだなあ」と言えるかもしれないが、明日の状況もわからない状況の最中ではさぞかしスリリングで不安な日々だったに違いない。
いや、本当にすごい人がいるものだなあと感心。彼女は、日本人女優など居場所がなかったドイツの劇場に、無理矢理体を押し込んで、自分の居場所を作ったパイオニアだ。ドイツ女優シングルマザー生活の前半は、その苦労を苦労として語ったりはしないけれど、どう考えても寿命が縮まるようなピンチと絶望の連続であったように思う。その強烈なストレスを受けとめて、逆に力にしてしまう強さには感嘆するしかない。

f:id:camin:20180803194104j:plain

ドイツ演劇の世界に原さんのように飛び込んだ人は他にいるかどうか知らないが、ドイツ演劇に限らず、あるいは演劇の世界に限らず、この世の中には原サチコにはなれなかった「原サチコ」が無数にいるのではないだろうか。ほとんどの人は彼女が最初の4年に経験した絶望と孤独を乗り越えることはできないだろう。
彼女があの不遇で先の見えない最初の4年間に耐えることができたのは、自分の才能と存在価値を信じることができる強固な自信があったから(シュリゲンジーフやシュテーマンという現代ドイツを代表する演出家に認められたというのは大きかっただろう)、そして圧倒的に弱くて自分に依存している存在、自分の分身である子供の存在があったからだろう。
 
 

←ココカラ『ヤルタ・ゲーム』

kokokara2015.wixsite.com


リーディング公演Vol.4:『ヤルタ・ゲーム』

作:ブライアン・フリール
翻訳・演出 江尻裕彦
出演:真那胡敬二、中井奈々子
会場:アポロカフェワークス
新宿区山吹町296 コーポ山吹102
上演時間:55分

評価:☆☆☆☆★

------
『ヤルタ・ゲーム』はアイルランドの劇作家、フリールによるチェーホフ『犬を連れた奥さん』の翻案劇である。黒海に臨むロシアの保養地、ヤルタで出会った初老の男と若い既婚婦人との不倫の愛の物語だ。

https://www.instagram.com/p/BlKwWhugZqh/

江戸川橋と神楽坂の間、住宅街の路地にあるアポロカフェワークス。←ココカラ『ヤルタ・ゲーム』。アイルランドの劇作家ブライアン・フリールの作品なので、面白くないわけはないだろう。


←ココカラは、江尻裕彦が邦訳がない英語の劇作品を翻訳・演出し、リーディングというかたちで上演するユニットだ。第3回公演は2015年11月だからだいぶ間が空いてしまった。今回の第4回公演が仕切り直しということになる。しかし公演のスタイルは変わっていない。カフェを会場にした少人数の俳優によるリーディング。邦訳のない作品を選んでいるが、作品の選択が絶妙だ。リーディングという上演形式にふさわしい作品が、リーディングという形式だからこそ味わうことのできる魅力を引き出す演出で、上演される。しっとりとした大人の楽しみといった雰囲気のなかで、演劇の言葉の世界に浸ることができる。


『犬を連れた奥さん』の登場人物は二人だ。観客に向かって右側に初老の男性俳優(真那胡敬二)が座り、右側に若い既婚婦人(中井奈々子)が座る。俳優の前には譜面台が置かれ、俳優は観客のほうを向き、座ったまま、リーディングを行う。朗読は過剰に芝居臭くならないように、しかし明瞭に観客にメッセ—ジが伝わるように、しっかりとコントロールされている。座ったままの朗読だが、表情の変化や目の動き、そして手足が絶妙のタイミングで動くことで、そうしたディテイルが観客の想像力を引き出すキューになっている。←ココカラの公演を見ると、リーディング公演ならではの演劇の面白さに気づかされる。俳優の表現にはリーディングゆえの枷がかけられている。しかしそうした表現上の枷は、繊細にコントロールされた声、表情、手足の動きを通して、むしろ観客の想像力を引き出す仕掛けとして機能する。物語の展開が観客の興味をひくものであることはもちろん重要だ。観客と演者の関係は演劇よりはるかに親密だし、そしてその相互反応も緊密だ。落語の技術と似ているところがあるかもしれない。演者と観客のリズムがうまくかみあったとき、その相互反応のなかに濃厚なドラマが生まれる。すーっと静寂に包まれるような時間が現れる。


二人の俳優がよかった。中井奈々子は大柄でえくぼが印象的な美しい女優だった。どうしようもない日々の退屈のなかで、不倫の愛の深みにずるずるとはまり込んでいく二人の関係には悲壮で滑稽な絶望感とともに軽やかで明るい解放感もある。こんな不倫に溺れてみたいものだ、と思ってしまうような素敵な公演だった。

第3回 石神井東中学演劇部・劇団サム合同公演

  • 日時:2018年7月7日(土)15時〜18時45分
  • 会場:練馬区生涯学習センター
  • 演目:『スパークル』『キミホン〜君の本音が聞きたい』(石神井東中学演劇部);田代卓演出『やっぱりパパイヤ』(阿部順作、劇団サム)

f:id:camin:20180708033622j:plain

----

劇団サムは、練馬区石神井東中学の教員で演劇部の顧問だった田代卓が、教員退職後に同部のOBOGとともに四年前に立ち上げたアマチュア劇団だ。卒業後はバラバラになる中学演劇部のOBOGによる劇団は全国でも稀なはずだ。田代は卓越した中学演劇の指導者で、在職中は同中学演劇部を都大会出場の常連にし、関東大会、全国大会に導いた。退職後は嘱託教員として練馬区の中学に勤務し、演劇指導をしていたが(今もしているかもしれない)、そのかたわらで自分が演劇指導した卒業生たちと劇団を立ち上げたのだ。

2年前に旗揚げ公演を行い、以降、年に一回、一日一回のみの公演を行っている。私は昨年の第2回公演から見ている。会場は練馬区生涯学習センターのホールで三百席の会場だ。今日の公演ではこの三百席が満席になった。有料公演ではなくフリーカンパ制になっている。

劇団サムの公演は、母胎である石神井東中学演劇部の公演とセットで行われる。今日は15時から石神井東中演劇部による『スパークル』、16時から同部による『キミホン〜君の本音がききたい〜』の上演があり、17時半から劇団サムの『やっぱりパパイヤ』(阿部順作、田代卓演出)の上演があった。

石神井東中演劇部の『スパークル』、『キミホン〜君の本音がききたい〜』はどちらも部員によるオリジナル台本の作品だった。『スパークル』はグループ・ダンスを題材としたスポ根青春ものの作品。友情と挫折、そしてダンス合戦。あまりにもシンプルで定型的なストーリーで脚本の弱さは否めないが、出演者の個性と魅力が引き出されていて、見ていて気持ちのいい舞台だった。場面転換の際の、ホリゾント幕を背景に、俳優たちがシルエットになる場面が美しかった。もっとあの場面はじっくり見たい感じがした。見せ場となるダンスの場面は一所懸命作って、稽古したきたことが伝わって来た。

『キミホン〜君の本音がききたい〜』は、荒唐無稽な設定と展開の脚本に笑わされた。人が本音を表明してしまうから諍いが起こる。無用な諍いを避けるために「本音を表明することを禁止する」と言う「世論改革」(?)が行われ、人前で本音を表明した者は国家権力によって処罰されるようになった。嫌な目にあっても本音を言ったら逮捕される。恋愛で恋の告白をしても逮捕されてしまうという過剰監視のディストピアの様子が、ナンセンスなドタバタ喜劇のかたちで演じられる。

中学演劇部が兵器マニアの巣窟で武器製造していたり、海底火山噴火で東京湾に出現した島が日本から独立し、そこが反=世論改革の拠点となったり、この島に当局から追われた中学生などが集結し、演劇部員が作った武器で政府当局と戦ったりするなど、展開は思いつきの連鎖のように暴走していく。最後には「本音禁止」の政策を作ったのは、恋を告白した男の子に片思いしていた同級生の女の子だったことが明らかになる。「ヨロンカイカク」で本音の吐露が禁止されているにも関わらず恋の告白をしてしまった男が逮捕されたというニュースのあとで、東京湾で海底火山爆発、新しい島ができて、日本からの独立を宣言、というニュースの場面があって、こんなニュースなんでわざわざと思っていたら、それが反政府運動の拠点となる伏線だったという強引さには笑った。この他にも小ネタが満載。

中学生なりに社会動静を観察して作り上げた諷刺喜劇なのだが、その展開の自由奔放さは、大人の劇作家からはまず生まれないものだ。
コンクールなどでは荒っぽく非現実的な展開ゆえに高い評価はまずされないように思うが、その暴走ぶりが爽快で、演技の拙さ、もたつく台詞のテンポにも関わらず、途中から爆笑モードでの観劇となった。中学生たちが楽しんでこの作品作りにかかわっていたことが伝わってくる舞台だった。この作品を見守り、上演させた顧問の先生は偉い。

30分ほどの休憩を挟み、17時半から劇団サムによる『やっぱりパパイヤ』の上演が始まった。阿部順作のこの作品は高校演劇でよく上演される作品のようだ。『やっぱりパパイヤ』は5場構成の芝居だ。上演時間は75分ほど。果物のパパイヤの話ではなく、高校演劇部の娘とその娘の父親の話だ。思春期の娘は父親を敬遠している。でも父親は娘が愛おしくてたまらない。娘が書いた演劇部公演の脚本を、父親が書き換えてしまうことで起こるドタバタ喜劇で、上演中は何度も大きな笑いが会場から沸き上がった。思春期の父娘の関係のステレオタイプを利用したよくできた脚本だった。ギャグこの芝居も出演者たちがのびのびと楽しんでやっている様子が観客に伝わってきて、それが会場にリラックスした喜劇観劇の空気を作り出していた。

劇団サムは今回で3回目の公演となり、メンバーも高校生から大学生、社会人まで幅が広がった。やはりその前にやっていた中学演劇とは雰囲気がまったく違う。腰が据わっているというか、どっしり落ち着いた感じだ。中学演劇は中学生俳優が一所懸命かつ楽しんでやっている様子が伝わってくるのがよかったのだが、サムになるとコントロールされた演技によって観客の反応を引きだそうとしている。

演技の全体的なクオリティは昨年の公演よりもはるかに向上していた。リズミカルな心地よいテンポが維持され、俳優間のアンサンブルも昨年より緊密になっている。お父さん、お母さんといった大人役の俳優もさまになっていて、この二人はほぼずっと舞台に出ずっぱりだったが、芝居の緊張感が途切れない。劇中劇でヒロイン役を演じた太めの女優が可愛らしく、その演技もポップでとてもよかった。

三回目となった今回の公演で、劇団サムは新しい段階に一歩を踏み出したような気がした。制作面で、田代が一人で背負うのではなく、劇団サムのメンバーに委ねられる部分が大幅に増えたようだ。今回の公演では色刷りの美しい当日パンフレットが用意されたが、この手配は劇団メンバーが中心に行ったという。
メンバーの最年少は田代が石神井中の顧問をやめた後に演劇部に入った高校一年生、最年長は二十一才で社会人となり、出演者の幅も広がった。田代がいてこそ結集できた集団だが、三回の公演を経た今、田代のもとで指導されるがままではなく、自律した集団として歩み始めつつある。田代はこの劇団は参加者の熱意だけに支えられて成り立っており、来年の保証はないと当日パンフレットに書いている。学校という制度的な枠組みを持たず、しかもメンバーそれぞれの日常の活動の場がバラバラで生活環境が変わりやすい状況で、劇団を維持するのは実際たやすいことではないだろう。しかしメンバーは年ごとに入れ替わりつつも、このままこの劇団が公演を続けていくと、ユニークで面白い演劇的状況がこの劇団から生まれることが期待できる。


哲学者の長谷川宏が主宰する所沢の学習塾赤門塾で、毎年行われる演劇祭は塾のOBOGの参加者とともに40年続き、きわめて独創的で面白い演劇文化を生み出している。田代が主宰する劇団サムもせめてあと十年は続いて欲しい。年ごとに変化していくなかで、十年後の劇団サムは類例のない独自の演劇文化を生み出すポテンシャルを持っている。私はそれを見届けたい。

 

 

平原演劇祭2018第2部 てんでんライト『奉納ヴィヨンの妻』

mixi.jp

f:id:camin:20180611013817j:plain

2018/06/09 25:00開演 @横浜市鶴見区入船公園付近(JR浅野駅下車すぐ)観劇無料・雨天決行
【出演】最中、ソらと晴れ女、嵯峨ふみか、小関加奈、角智恵子、高野竜
【交通】JR鶴見線 浅野駅
【持ち物】懐中電灯、度胸

------ 
深夜1時開演の夜通し公演、懐中電灯持参の野外芝居となると、こちらの好奇心は否応なしにかき立てられる。演劇ファンだったら年に何回かはこうした酔狂な企画に関わるものだろう。なんといっても高野竜が主宰する平原演劇祭の公演である。面白くないわけがない。


静岡で午前11時開演、午後8時半に終演した『繻子の靴』を見終えた後、21時12分に東静岡から東海道線鈍行に乗って横浜まで行き、横浜から京浜東北線鶴見駅まで行った。鶴見駅に到着したのは深夜0時15分だった。公演会場の鶴見線の終電はもう終わっているので、高野さんに車で迎えをお願いしていた。深夜1時から朝にかけて公演ということで、観客は下手すると私ひとりかもしれないと思っていたのだが、私以外に鶴見線終電後に駅についた観客が二人いた。高野さんは鶴見駅東口のロータリーにあるファミリーマートの前に車を止め、われわれを待ち受けていた。車での迎えはわたしたちが二巡目だという。昨年秋に埼玉で深夜奉納演劇をやったときは、演者は朗読の高野竜さんと舞踏家のソらと晴れ女の二人、観客は私と竜さんの奥さんの二人だけだった。今回は演者が6名、観客が12名だった。

f:id:camin:20180610004534j:plain

JR鶴見線は知る人ぞ知る変わった路線だ。鶴見駅から沿岸の工業地帯の埋め立て地に線路が延びていて、工場への通勤客のための路線なのだ。鶴見から終点の扇町までは7キロほど。変わっているのはこの鶴見-扇町間の本線から、海岸の工業地に向けて櫛上に何本か支線(かつては四本あったが、現在は二本)が延びていることだ。始発の鶴見駅以外は無人駅である。リンク先のmixi上の公演案内の文章に詳しいが、今回の公演は鶴見線の駅の一つである浅野駅の周辺で、ゲリラ的に深夜野外演劇を行うという趣向だ。本当は浅野駅から延びる海芝浦支線終点の海芝浦駅でやるつもりだったらしいが、そこは東芝の私有地で不法侵入となるため、あきらめたらしい。浅野駅は東芝の私有地ではないので、駅野宿の感覚で無人駅の構内に出入りすることは黙認されている(はずだ)。周囲が工場地帯で住宅がないので、深夜に集団があやしげなことをやっていても住民から通報される可能性も低い。

https://www.instagram.com/p/Bjz0gMwgYo1/

横浜市鶴見区某所。平原演劇祭2018第二部『奉納 ヴィヨンの妻』開演前。怪しい集団が公園内に。モツの煮込み、美味しい!

浅野駅のそばには入船公園という芝生の公共スペースがある。その公園のそばで車から降ろされた。公園内には照明はないが、まっすぐ歩いくとテントがあり、そこで既に宴会を行っているとのこと。最初は暗闇に目がなれなくてどこに人が集まっているのかわからなかったが、横から「こっちだよ〜」と呼ばれた。芝生広場の中央にテントが設置されていて、そこにすでに10名ぐらい集まって飲み食いをしていた。公園のど真ん中にいきなりテント、そこで十数名が静かに宴会。誰が見ても怪しい。警察がもし巡回にやってきたら職質は必至だろう。「※通報された場合は高野が対応致します。」とあったが、幸い通報はなかった。通報されたところで、犯罪行為を行っているわけではないのだが。反社会的行為ではあるとはみなされるかもしれない。
平原演劇祭では、調理師でもある高野竜さんによる料理がふるまわれることが多いのだが、この日も豚ハツの焼き鳥風と数種類のモツの煮込みが用意されていた。高野さんの飯はちょっと変わったものが多いがたいてい美味しい。この日の料理も美味しかった。

f:id:camin:20180610011605j:plain

公演の告知はmixitwitterのみ、当日の連絡はtwitterの高野さんのアカウントが頼りだ。ひとり、鶴見駅から入船公園までぶらぶら歩いて来ますという観客がいて、その人の到着をしばらく待っていた。その観客が到着したのかどうかわからなかったが、とにかくほぼ予定通りの午前1時過ぎに開演。上演予告では「奉納ヴィヨンの妻」となっていて、この作品一本でいったいどうやって午前1時から日の出まで時間を持たせるのだろうと思っていたが、実際には「平原演劇祭スタイル」で、ひとり芝居「奉納ヴィヨンの妻」を軸に、舞踏や朗読が間にはいるという形の上演だった。まず8月から10月にかけて複数箇所で上演が予定されている『嵐が丘』(花岡敬造作)のひとり芝居、ダイジェスト版を角智恵子が演じた。演じた場所はテント横の芝生広場。照明設備がないので、観客の懐中電灯で照らされての上演である。このひとり芝居が15分ぐらいあっただろうか。最後は、角智恵子が観客を置き去りにして芝生広場の向こう側にだーっと全速力で走り去る。公園周囲の工場や道路の明かりやその明かりが反射した曇り空のため、目が慣れてくると案外回りの様子は見える。なおこの日の夜は天気予報は雨予報だったが、高野竜の「スタンド」能力で公演中、雨が降ることはなかった。

f:id:camin:20180610020317j:plain

ヴィヨンの妻』は和装の女優、最中のひとり芝居だ。『嵐が丘』ダイジェスト版のあと、どういう手順で演目を出すのかちゃんと打ち合わせができていなかったらしく、出演者間でごちゃごちゃ話合っていたが、なし崩し的に『ヴィヨンの妻』が始まった。開演前の宴会でお酒が入っていた最中は最初かなり酔っ払っている感じで大丈夫かなと思ったのだが、芝居が始まるとすぐに酔っ払っいの雰囲気はなくなった。『ヴィヨンの妻』からは移動演劇になる。ひとり芝居で『ヴィヨンの妻』を語りながら、最中が入船公園から駅のほうに移動していく。それに観客がぞろぞろと付いていく。これは外から見るとかなり異様で不気味な集団だろう。夜の工場地帯を集団が移動し、演劇を見ている。この特殊な状況だけでゾクゾクする。

f:id:camin:20180610020104j:plain


無人駅の鶴見線浅野駅構内とその周辺がこの後の上演の主な場となる。駅のあらゆる場所が上演場所になる。観客は演者を追っかけて移動する。
最中による『ヴィヨンの妻」朗読の合間に、まず高野竜による朗読が挿入された。読んでいるテクストは宮沢賢治の『月夜のでんしんばしら』とこの作品についての谷川雁の論考の抜粋のようだ。『月夜のでんしんばしら』の書き出しはこうである。「ある晩、恭一はぞうりをはいて、すたすた鉄道線路の横の平らなところをあるいて居おりました。たしかにこれは罰金です。」線路内立入は当時の法律でかなり重い罪だったことを高野がそういえば、歩き芝居が始まる前に説明していたような気がする。

f:id:camin:20180610020714j:plain

ヴィヨンの妻』ひとり芝居は、駅構内のいろいろな場所で演じられるが、その途中で何度か他の出し物によって中断し、ぶつ切りにされる。暗いホームの片隅から白塗りのソらと晴れ女が現れたときにはぎょっとした。奇矯な衣装を身につけ、時に胸を露わにして踊る白塗り舞踏は、それを見守る観客とともに、シュールリアリズムの絵画のような風景をそこに作り出していた。

f:id:camin:20180610024704j:plain

高野による朗読、ソらと晴れ女による独舞のほか、赤いワンピースを着た嵯峨ふみかと小関加奈による朗読もあった。駅舎の壁を背景に、二人はよく聞き取れない声でテクストを交互に読み会う。高野が二人をスライド映写機で照らし出す。幼い少女の双子のように見えた彼女たちが読んでいたテクストは、あとで確認するとフランソワ・ヴィヨンの詩の日本語訳だった。

f:id:camin:20180610025821j:plain

午前4時過ぎ、空がだんだん明るくなってくる。踏切付近で和服の最中と異装白塗りのソらと晴れ女が絡んでいるところを、十数人の観客が見ていると、配達かなにかのバイクが通りかかった。バイクを運転していた男性は、この異様な集団にあきらかにぎょっとした風だった。そりゃそうだろう。「あ、通報されたりしないだろうか」とちょっと心配になったが、大丈夫だった。日の出時刻の朝4時20分ごろにすべての演目が終わる。観客たちは早足で、入船公演中央に設置された集合場所のテントに戻るよう促される。

f:id:camin:20180610040709j:plain


出演者も戻り、終演の挨拶が終わったのが午前4時半だった。外はすでに明るくなっている。鶴見線の鶴見行き電車の始発は6時9分とかなり遅いので、高野さんが車で観客を鶴見駅までピストン輸送した。その間にテントを撤収し、午前5時前には入船公園から完全退去した。シュールリアリズム絵画さながらの一夜の風景は、もとの日常に戻る。日常が非日常に変容する。演者だけでなく、観客もまた共犯者としてこの非日常世界の作り手となる。本当に愉快で素晴らしい一夜だった。

f:id:camin:20180610042029j:plain

高野さんに鶴見駅まで送ってもらったのが午前5時過ぎ。私はその後、池袋まで移動した。午後2時から立教大学でベルナール=マリ・コルテスの『タバタバ』の上演があるので、それまで池袋のネットカフェで仮眠を取って時間をつぶすことにしたのだ。ネットカフェに入るまに、西口駅前のマクドナルドで朝食を取る。日曜午前の池袋西口付近は土曜夜を徹夜して遊んだ若者たちがどんより疲れた感じてたむろって居る。町中はゴミだらけ。

平成29年度渋谷学研究会「民俗芸能の舞台公演―その歴史・意義―」

www.kokugakuin.ac.jp
日時 | 平成30 年3 月15日(木) 13:30 ~ 17:30
会場 | 國學院大學渋谷キャンパス 5号館 5301教室

今、日本は空前の民俗芸能ブームとのことだ。東日本大震災が東北における民俗芸能の再興のきっかけとなったいう。被害の大きかった東北太平洋沿岸はもともと民俗芸能の豊かな地域だった。地域コミュニティの再構築、郷土意識の覚醒の核として、民俗芸能の機能が注目されるようになった。

これに伴い東京でも日本各地の民俗芸能の上演の機会が多くなった。このシンポジウムの問題提起は、本来の上演の時と場から切り離され、東京の劇場空間で上演される民俗芸能をどのように評価するかということだった。

共同体の祭から離れ、都会の劇場で演じられると、当然奏祭者(=伝統芸能の演者)と観客の関係は大きく変わる。東京の劇場で未知の観客の視線にさらされたり、他の芸能の奏祭者たちと交流を持ったりすることが、奏祭者の意識や芸のあり方に必然的に変化をもたらす。この変容をどうとらえ、評価するか。地域の閉鎖的な環境のなかで保存されてきた伝統が、舞台公演によって変化してしまうことを危惧する研究者は少なくない。しかしこうした新たな上演機会の獲得による衰退していた伝統芸能の活性化、表現の刷新といった肯定的な面もある。

 

今回のシンポジウムでは3人の報告者がいたが、それぞれの立ち位置は異なったものだった。一人目の小川直之氏は民俗学者で、研究者の立場から地方の伝統芸能を考察するだけでなく、宮崎の神楽を東京に招聘し、公演を行う活動にも関わっている。彼が参照するのは折口信夫が民俗芸能上演を國學院大學などでやったときの姿勢だ。二人目の報告者、舘野太朗氏は素人歌舞伎の実演者でもあり、演劇研究者でもある。彼は大正期の坪内逍遙のページェントの試みに注目し、ページェントという大規模素人地域演劇のコンセプトを引き継いだ坪内の弟子、小寺融吉の郷土舞踊の活動に現代における民俗芸能上演の可能性を探る。三人目のパネラー、小岩秀太郎氏はもともとは郷土芸能の担い手だったが、今は全日本郷土芸能協会という組織の一員であり、この協会のスタッフという立場から伝統の継承/新しい表現の創造、伝統の保存/活用という現在の地域芸能の葛藤の状況を述べた。

 

私は昨年から地域素人演劇研究のグループに入って調査をはじめているが、このグループに入ってから気づいたことは、日本各地で行われている地域素人演劇活動の数々は、私の研究フィールドである中世13世紀アラスの都市市民世俗劇上演を考える上で多くのヒントが含まれているということだ。

13世紀アラスの演劇、あるいは中世フランス演劇は、17世紀以降の古典主義以降の作家主義、芸術的演劇の歴史のなかにおさめて考えるよりも、地域のアマチュア演劇としてとらえ、その上演・創作活動が地域コミュニティに対して持っていた公共性を軸に作品を読み解くほうが実り多いように思うようになったのだ。
つまりこういうことだ。中世フランス演劇は極めてローカルで、とある地域の特殊な条件のもとに成立した文化現象である。しかしそのローカルな演劇のあり方が実は普遍的なものであるということが、現代日本の地域素人演劇研究から見えてくるだろうということだ。この仮説はおそらく正しい。論証するにはもっと勉強しなくてはならない。逍遙のページェント論は私としてもしっかりと検討しておきたい。そして論文の形で発表しなくてはならない。

今日の発表は私は門外漢といっていいのだけれど、中世フランス演劇のみならず、自分の演劇観を問い直すような示唆がいくつかあった。4時間半にわたるシンポジウムだったが、聞きに行ってよかった。

RoMT Acting Lab. プロジェクト公演『ギャンブラーのための終活入門』

ギャンブラーのための終活入門 – RoMT

A Gambler's Guide to Dying

  • 作:ガリー・マクネア
  • 翻訳:小畑克典
  • 演出:田野邦彦
  • 出演:太田宏
  • 場所:上井草 エリア543
  • 評価:☆☆☆

---
太田宏さんの回を見に行った。
太田宏さんが前にRoMTでやった3時間超えの一人芝居『ここからは山がみえる』に比べると、脚本が弱い。つまらない本というわけではないけれど、それほど面白い話というわけでもない。

ブックメーカー(賭屋)、サッカー、スコットランド人の反イングランド感情などが折り込まれているので、エジンバラの観客は日本の観客よりはるかにこの一人芝居を楽しむことができたはずだ。そうしたローカルねたにとどまらない普遍的な要素はある話ではあるのだけれど、物語の語りの仕掛けは単調で、仕掛けに乏しい。ありきたりの物語といえばありきたりで、私は物語に乗っかって語りに聞き入ることができなかった。

太田さんの語り芸は達者で安定している。さすがにうまいし、手慣れているなとは思ったけれど、脚本の弱さゆえか、技術的な巧さには感心するけれど、語りの世界になかなか入っていけなかった。

入り込むことができなかたもう一つの理由は、椅子だ。約2時間の公演だったのだけれど、通常の高さのパイプ椅子(これでもきつかったかも)は数少なく、私の入場時にはもう埋まっていた。高さのない小さな椅子に座ることになってしまったが、あの椅子で2時間座ったままというのは拷問だ。

太田さん以外の俳優では、どんな風に変わっているのか興味はあるけれど(太田さんのようにはできないだろう)、あの椅子と脚本では再び赴く気にはなれず。