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以下二作は、会場を移し、久喜市香取公園にての上演。
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『朝敵揃』 平家物語より。ゴイサギの名の謂われです。昨年は深夜奉納でやりましたが今年は夕方!
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『誰も練ってはならない』 高野竜作。再々演です。プッチーニではありません。東京都迷惑防止条例で大道芸が取り締まられたことに関して。
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【出演】角智恵子、森かなみ、冬岸るい、嵯峨ふみか、宮崎まどか、山羽真実子、橙田かすみ、空風ナギ、教仙拓未、小関加奈、山城秀之、最中、中沢寒天、青木祥子、高野竜
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年に4-5回開催される平原演劇祭だが、そのうち一回は宮内町郷土資料館敷地内にある古い日本家屋、旧加藤家を会場に行われる。ここ数年、加藤家での公演は9月が多かった。
平原演劇祭は上演場所の空間的特性を取り込んだ演出がその特色の一つだが、茅葺き屋根で縁側と土間を備えるこの住居での公演は、9月よりもむしろ7月-8月の夏の盛りに、周囲の蝉の声を聞きながら行われるのがよりふさわしいのではないかという気がしていた。
昨年の公演の際に主宰の高野竜さんに「なんで加藤家での公演は9月なんですか? 8月のほうがよさそうなのに」と聞いたところ、「いや〜、何回か8月にやったことはあるんですが、あまりにも暑すぎて」という返事だった。
ところが今年は9月6日〜9日に北千住のBUoY、10月7日に筑波大学で公演を行うためか、8月最初に加藤家で公演を行うことになった。
写真のとおり、茅葺き屋根で、部屋を取り囲む縁側で障子を開けると風が通り抜ける加藤家は通気性抜群でいかにも涼しげではある。しかし35度越えの気温には、この涼しげな構造も役に立たない。昨日は建物を通り抜ける風もなかった。もっとも風があったところで熱風だったかもしれないが。茅葺き屋根の和式伝統住宅といえど、屋内もうだるような暑さ。
クーラーのないこの家屋の32畳の空間に、演者15名を含めると40名ほどの人間が、平原演劇祭のために集結した。とにかく暑かった。団扇が用意されていたが、あまりに暑すぎて、うちわで扇ぐ気にさえなれない。用意されていた座布団が座っていると汗でじっとりと濡れる。会場が汗臭かった。私はフランスから木曜夜に帰国したばかりで時差ボケもあった。時差ボケと暑さでぼんやりしたなかでの観劇となった。上演開始は正午、加藤家住宅での上演終了が午後4時前。途中30分ほどのスイカ休憩があった。
加藤家での上演演目は、上記にあるように宮城聰主演・演出で1980年代に冥風過劇団で上演された『嵐が丘』の抜粋を軸に、いくつかの小篇が『嵐が丘』を分断するかたちでシーム—レスに上演されるというものだった。『嵐が丘』は、英国の作家、エミリー・ブロンテの作品ではなく、80年代に冥風の座付作家だった花岡敬造による戯曲だ。ブロンテの小説にも言及はあるが、まったく別の話で舞台は昭和初期の満州である。今年の平原演劇祭ではこの『嵐が丘』を今回の加藤家公演のほか、9月のBUoY、10月の筑波大学で上演する。俳優と配役は変わるし、上演場所によって演出も当然大きく変わるはずだ。BUoYは無照明上演とのことで、観客に懐中電灯持参が呼びかけられている。
上演演目については、このブログ記事の冒頭を参照頂きたい。今回は珍しく、上演演目についての解説が高野竜氏によって事前になされている。高野竜の作品の言葉は詩情に満ちた美しいものなのだけれど(彼の作品の大半は
mixi.jp
で参照することができる)、それらが上演されるときは上演空間と俳優の特性を巧みに利用した演出上の創意に気を取られ、上演中に語られている言葉のほうには意識があまりいかないことが多い。いくつかの作品が、間に挿入され、筋が分断されたり、今回の「ゴジラ」登場のような馬鹿馬鹿しいギミックのインパクトが強烈だったりして、実際のところ何が展開しているのかよくわからないことが多い。後から思い出すと、いくつかの印象的な情景が言葉とともに記憶に残っているという感じだ。今回は暑さと時差ボケによって、その印象はいつも以上に朦朧としたものになってしまった。
「暑いなあ、かなわんなあ」と思いながらぼーっと見ているうちに、熱気がこもるこの薄暗い日本家屋のなかで、32畳の正方形の空間をぐるりと観客が取り囲んで演劇の場を作り、そのなかで何かが行われていることを眺める時間を共有していること自体が、今回の公演では重要であるような気がしてきた。
観客も暑かったが、ゴジラの着ぐるみや劇中の設定上、冬服を着込んだままで演技を続ける俳優たちはもっと大変だっただろう。暑さのなかでかげろうが立ちのぼっているかのような朦朧とした感覚のなかに、いくつかの場面が豊かな詩情とともに浮かび上がる。
15人の俳優のうち、男性は朗読を担当した高野竜と俳優2人の3人だけで、他はみな女優だ。しかもその大半は20代のまだ若い女優である。若い女優たちが男装し、畳間でどたばたと動きながら演じる『嵐が丘』は、小学校の頃、学校図書館で読んだ挿絵入りの江戸川乱歩の小説の世界をなぜか想起させる。
畳の縁を国境線に見立てた『逃(タオ)』 は「5幕ものの書き途中の1幕目」とのことだが、小柄な女優、小関加奈の可愛らしさ、ぴんと糸を張ったような芝居の緊張感が印象的だった。
とにかく屋内が暑かったので、休憩中に屋外で食べたスイカが異常においしく感じられた。私はもともとはスイカはあまり好きな果物ではない。小学生のころは、「カブトムシの好物」というイメージと種を出すのが面倒で、スイカは嫌いな果物だった。今も手と口がべちょべちょしてしまうのが嫌でスイカは夏に一二回しか食べないのだが、昨日はたくさんスイカを食べた。あんなにたくさんスイカを食べたことはこれまでなかったかもしれない。
午後4時前に平原演劇祭2018第3部の旧加藤家での「第1部」は終了。希望者は車に分乗するなどして、そこから10キロほど離れた久喜市の香取公園(「かんどりこうえん」と読むらしい)で行われる「第2部」会場に移動した。第1部の出演俳優も含め、20名ほどが第2部会場に移動した。
香取公園は高校とショッピングセンターのそばにある。もともとは洪水などの被害を防ぐための遊水池なのだそうだ。そこに数種類の鷺が住み着き、鷺の群生地になっている。この香取公園で昨年の平原演劇祭では、深夜に奉納舞踏と朗読の公演が行われた。この模様は以下の記事で報告している。
otium.hateblo.jp
今年は夕方に、青木祥子による一人芝居『誰も練ってはならない』と高野竜による朗読『朝敵揃』 が上演された。
『誰も練ってはならない』は、香取公園内の遊歩道を青木が自転車で走りながら演じる。25人ほどの観客はぞろぞろとその後ろを着いていく。普段は付近の住人の散歩道となっている公園内道路だ。そこを集団でゾロゾロと歩くのはあまりにも怪しいので、一応「探鳥の会」ということにしておいた。実際、青木が演じているときに、道の向こうから犬を連れた散歩の女性がこちらの様子を見て固まっていた。
高野竜の『朝敵揃』 は、『平家物語』からの抜粋だ。この場所が鷺の群生地となった由来の説明をしたあと、高野竜は高野の息子が書いた筆書きの巻物を、鷺の群生地の前で朗々と読み上げた。第3部の「第2部」の上演時間はあわせて20分ほどだった。
このあとすぐそばにあったショッピングセンター、アリオ鷺宮で打ち上げが行われたようだが、私は疲労のため、ここで帰った。