閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

髪結新三(かみゆいしんざ):梅雨小袖昔八丈

http://www.zenshinza.com/stage_guide/kamiyuishinza/index.htm

初の前進座歌舞伎、初の黙阿弥狂言。前進座というもう一つの歌舞伎の存在を知ったのは、昨年秋の『子午線の祀り』公演だった。義経役を演じた前進座俳優嵐広也がとても印象的だったのである。
『髪結新三』を大詰ほかいくつかの場を省略して通しで上演。新三が三幕一場で死んでしまい、筋立て上ここで芝居は終わってもよいはず。しかしその後に二場、源七が捕縛される居酒屋の場が続く。三幕二場は源七を引き立たせるための場だが、芝居全体の構成を考えると余分な感じがする。三幕一場は源七-新三の立ち回りがあるので見せ場ではあるものの、三幕自体蛇足の感あり。全編通しとなるとこの三幕のあとに大詰が続く。役者の見せ場を配分するための配慮があったのだろうが、一編のドラマとしてはバランスの悪い構成に思える。
劇の筋立てにはまとまりに欠けるぶぶんはあるが、江戸の下町の風俗をリアリズムと様式をうまく組み合わせて表現した舞台は観客へのサービス精神あふれる楽しさに満ちたものだった。背景の美術、夕暮れから夜にかけての墨田川越しの対岸に見える下町の町並みの風景が美しい。黙阿弥の七五調の台詞回しの心地よさ、実際に聞いてみると、なるほど、あの口調のよさ、リズムはまねしたくなる。
前進座の芝居はテンポのある軽やかな進行。新三役の中村梅雀は、この小悪党の憎々しさと愛嬌を巧みに表現していたように思う。「小気味よさ」を感じる演技だった。
音楽が録音なのが味気なく、大向こうが少ないのが物足りないさを感じたが、黙阿弥狂言の愉しみを存分に味わうことのできた満足度の高い公演だった。
山中貞雄の映画版『髪結新三』、『人情紙風船』も機会あれば是非みてみたい。この世話物の世界をどう映画のリアリズムに移し替えているのかが興味深いところ。