閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

歌わせたい男たち

二兎社

  • 作・演出:永井愛
  • 美術:大田創
  • 照明:中川隆一
  • 衣裳:竹原典子
  • 出演:戸田恵子、大谷亮介、小山萌子中上雅巳近藤芳正
  • 劇場:森下 ベニサン・ピット
  • 評価:☆☆☆☆☆
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200人弱ほど収容可能だと思われるベニサン・ピットの客席は通路席まで満員の盛況。
某都立高校卒業式での『君が代』斉唱をめぐり、校長をはじめとする歌わせたい教師たちと思想・信条上歌うことを拒否する教師の対立を、その間で明確な主義・主張を持たぬまま翻弄される音楽教師を軸に、喜劇的に描く。各人物がそのディテールまでしっかりと造形された非常によくできた脚本・演出。登場人物が類型的であるようにも思えるが、実際学校の教師というのは現実でも案外「型」を演じているような人が多いように思う。喜劇仕立てのための誇張はあるものの極めてリアリティある人物造形だった。
ちらしの裏の文章にあるように作者の永井愛は、「君が代」の規律斉唱が強制され、従わない場合に罰せられるという現実には批判的である。しかし永井がいわゆる「左翼的」イデオロギーにのっかって、この奇妙でグロテスクにも思える現実を、一方的に糾弾しているわけではない。「君が代」を歌う・歌わないという二者択一の周辺にはやっかいで曖昧な現実的問題、各人が日常で抱えるさまざまな事情もからんでくる。しかし「君が代」選択問題に一個人が関わってしまう場合、それは多くの人間にとってやむを得ず関わってしまうのであるが、この問題についてバランスのとれた折衷的で中庸な態度をとるのはけっこう難しいのである。永井の人物造形は、体制・保守的で思考停止を起こしているように思える校長を倫理的・思想的に断罪はしない。校長は行政の決定に従い、その遂行を律儀に行うとする生真面目な一官僚に過ぎないのだ。そして悲しいことに、学校長は役所の官僚ほど事務的に冷徹に物事を処理する器用さを多くの場合持っていない。私の父は中学校長だった。年を経るにつれ教育に関する問題では、本音を決して語らず、見え透いた建前論しか述べなくなる傾向が強くなっていたたのだが、校長になってからはその建て前が本音をすっかり覆い尽くしたような感じで、反発を感じたものだ。しかも根は徹底的に善意の人なのである。家族の前でも教育の問題については頑なに「公的見解」しか述べなかった。こうした建前への固執は教師の職業病であるようにも僕は思うのだが、永井が今日提示した校長像は、まさに自分の父の姿を想起させるものだった。
おろおろとふりまわされる校長の姿は演劇的にカリカチュアされたものであるが、大文字の「正義」を唱え、正論を吐く左翼教師もまた同様に戯画の対象となっている。己の『正しさ』に酔いしれる彼の姿はひとりよがりで生活の「現実」の感受性に欠けている。戸田恵子演じる臨時雇いの音楽教師はその両者の狭間で右往左往するが、結局は現実を選び取る。彼女の曖昧さに多くの観客は自己投影するはずだ。最後のシーンでもこの二つの立場の対立は解消されはしない。しかし見方によっては実にグロテスクな現実を反映したこの喜劇を、とろけさせてしまうような叙情的で美しいラストシーンが用意されている。
何とも言えぬコケットな魅力と愛嬌を持つ戸田恵子をはじめ、五人の役者はそれぞれ達者。とくに保健教師役、しれっとした顔立ちの長身女性、小山萌子もユニークな雰囲気をもっていて印象的。
保健室を再現した舞台は、強調した投資遠近法を作られ、リアリズムと歪みの共存ぶりが見た目に面白い。窓の外からの陽光、人物の心理や状態を微妙に反映させる照明(特に最後のシーンの光の推移の効果)も見事だった。
11/13までベニサンで公演。
その後、全国公演。関西でも公演があるのでチケットを購入し父に送ることにした。父は舞台のメッセージをどう受け取るのだろうか。カリカチュアされた校長像はやはり不愉快で、左翼教師の言辞は到底承伏できないだろうか。感想を聞いてみたい。