閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

ブラウニング・バージョン

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自転車キンクリートSTORE
The Browning Version

  • 作:テレンス・ラティガン
  • 訳・演出:鈴木裕美
  • 美術:横田あつみ
  • 照明:中川隆一
  • 衣裳:三大寺志保美
  • 出演:浅野和之、内田春菊今井朋彦、池上リョヲマ
  • 劇場:六本木 俳優座劇場
  • 評価:☆☆☆☆★
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上演時間二時間弱。通路の補助席まで埋まる超満員の劇場。ただし先に坂出洋二演出で上演された『ウィンズロウ・ボーイ』に続き、この『ブラウニング・バージョン』でもe+の得チケが出ている。連続してラティガン公演を見に来たことをしめす半券を示すと割引があるのだが、それより得チケを買った方が圧倒的にお得になっている。劇団側の企画である半券割引よりも、e+の得チケのほうが1500円も安いのだ。得チケは座席優先度が低いとはいえ、収容人数が300人もない俳優座劇場でならどこで見てもそう変わるものではない。
『ウィンズロウ・ボーイ』が非常に面白かったので、キンクリート製作の三連続上演を全て観に行くことを決め、最初劇団に半券割引を申し込んだのだが、予約直後にe+で得チケの告知があった。正規の観劇料金である5000円支払うの価値がある質の高い公演であるとは思ったのだけど、三作品全部見ようという「忠実な」お客よりも、得チケのほうが大幅にチケット代金が安いとなるとやはり面白くない。劇団予約のほうはキャンセルを申し出て、得チケでチケットを買い直した。得チケを出すことで超満員になったのだから得チケを出して正解ということになるけれど、得チケの客の割合があまりに多いとなると、正規料金や半券割引のチケットで来ている人はやはり釈然としないのではないだろうか。得チケを出さざるを得ないというのは劇団側にとっても厳しい決断なのだし、得チケで新たな観客層を開拓するというメリットもあるのだろうけど、正規にチケットを購入した人にはやはりそれなりの明確な優遇措置が必要であるように思う。プログラム無料配布とかね。キンクリートのラティガン祭の第三弾、『セパレート・テーブルズ』も観に行くつもりだけれども、半券割引を使うか(一応半券をとっておいてある)、e+の得チケを待つか、判断に迷う。『ウィンズロウ・ボーイ』も評判がよくて、得チケの売り出しはあったとはいえ、後半は満員だったというのに、『ブラウニング』でも引き続き全公演日で得チケが出たしなぁ。

『ウィンズロウ・ボーイ』もそうだったが『ブラウニング・バージョン』もタイトルから内容は全く想像できなかった。だいたいタイトルの意味もよくわからない。タイトルの意味は劇の後半でようやく明らかになる。ビクトリア朝の詩人、ロバート・ブラウニング訳の『アガメムノン』の書籍のことだった。このブラウニング訳の『アガメムノン』の冊子が、劇の内容を象徴する重要な小道具なのだ。劇後半でこの語が出てきたときに「うまいタイトルだなぁ」と思わずうなる。

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主人公は心臓病で退職を余儀なくされたパブリック・スクールの古典教師。この古典教師の退職する日の夕方から午後が舞台となる。人と関係をとりむすぶことに不器用で、学生、妻、同僚のいずれからも背を向けられる老教師。長年の教師生活の間にすっかり孤独が身に染みつき、その性格はいじけてひねたものになってしまっている。退職の日を迎えたこの老教師の書斎兼居間に様々な人物がやってくる。彼らは、無頓着にあるいは明確な悪意のもとに、残酷な言葉でこの哀れな老教師をなぶりものにする。さんざん愚弄され、自尊心を傷つけられた老古典教師は、しかし悲しい一日の終わりにようやくそれまでの自身の生き様と勇気をもって向き合いことで、新たな日々を生きていく力強さを手に入れる。
学校という狭い社会の中での無惨な挫折、妻との不和、人間不信、古典教師としての誇り。身につまされるような題材の数々。自尊心を徹底的に傷つけられる老教師の姿は哀れで痛ましいが、その諦念ゆえにやりきれなくなるような陰惨さはない。ラティガンの戯曲は伏線を巧みに使って人間の造形を膨らませ、奥深い心理表現を台詞で暗示する優れもの。執拗ないじめられ演劇ではあるがラストには希望があり後味は悪くない。

舞台美術はパブリック・スクールの教員宿舎の書斎兼居間を写実的に再現したもの。照明の使い方が洗練されている。写実的な時間表現だけでなく、ドラマの展開を照明が饒舌に表現していた。
俳優では今井朋彦のあの奥に引っ込んだ目と髪型、ひょうひょうとした捕らえがたい雰囲気が記憶に残る。内田春菊は、いわゆるセクシャルで奔放な「内田春菊」のイメージそのままの配役であるところに若干の「悪意」を感じる。力強い夫の姿を最後に確認して、わっと涙する背中の風情が印象的。

公演後、坂出洋二、マキノノゾミ、鈴木裕美の三演出家によるポスト・トークあり。芝居とは関係ないけれども、鈴木裕美はコケティッシュで実に可愛らしい顔立ちの女性だった。ラティガンの魅力について三者が語る内容は興味深いものであったが、話の内容よりも鈴木裕美のからからとした美しさをぼーっと眺めることに幸福感を覚える。