閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

スタッフ・ハプンズ

燐光群公演
http://www.alles.or.jp/~rinkogun/stuffhappens.html

  • 作:デイヴィッド・ヘアー David HARE
  • 訳:常田景子
  • 演出:坂出洋二
  • 美術:二村周作
  • 照明:竹林功
  • 衣裳:大野典子
  • 出演:中山マリ、鴨川てんし、川中健次郎、吉村直、江口恵美、猪熊恒和、大西孝洋、江口敦子
  • 劇場:下北沢 ザ・スズナリ
  • 評価:☆☆☆
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2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ以降のアフガニスタン戦争、イラク戦争、そして戦争終了後現在も続く国連によるイラク統治の過程を、米・英を中心とする政治家たちの言動を再構成することで再現していく現代史政治劇。
登場人物はブッシュ大統領シラク大統領、ブレア首相をはじめ、全て実在の政治家である。
上演時間は二時間半。劇場はほぼ満席で200名ほどの観客で埋まる。
国際面で大きく取り上げられるような大物政治家たちによる、戦争という大事件をめぐる様々な駆け引き。ここ数年、個人的な日常の将来に不安と切迫感を感じている僕にとっては、イラク戦争ははるかかなたのぼんやりとした非日常的事件に過ぎない。そして2006年の現在、少なくとも僕の感覚の中では、イラク戦争がとっくに「終わってしまった」過去の出来事であることに芝居を観て気づく。
しかも劇の語りの視点は、イギリスから観たイラク戦争に関わるアメリカの姿である。ヘアーが設定したイギリスというフィルターは、日本人の我々には有効な視点をもたらしてくれないわけではない。しかし日本もまた自衛隊派遣や資金供出でアメリカ陣営の中でイラク戦争に荷担しているわけで、こうした正面から社会事象に向き合った意欲的なドキュメンタリー・ドラマは日本立場から書替えたバージョンの試みがあっていいように思った。
イギリスの視点で語られるアメリカの政治家たちの姿は、やはり僕には遠くにあるように感じられた。こうした実在の人物をカリカチュアした政治風刺劇にはよく感じることだが、最初にイデオロギーありきで、そのイデオロギー説明のために、複雑な現実をあまりに都合よく単純化しているように思える。アメリカの政治家、特にブッシュに対する観察と批判はほとんど定型化しているようにさえ思える。「正義役」のフランスの政治家たちの模倣も平板だ。

アメリカがイラク戦争を開始したとき、僕はパリにいた。学生たちによってイラク戦争反対のデモが数次にわたって行われた。僕も声をかけられたが参加しなかった。
留学中のこまごまとしたこと、家族の問題などで、イラク戦争に関心を持つどころではなかった僕がこうしたデモに参加するのはいかにも軽薄に思えたし、デモ参加者に観られるあまりに単純で素朴、反射的な反米的態度に拒否感を感じていたからだ。強烈で根強い米国コンプレックスがその根底にある、集団ヒステリーのように僕には見えたのだ。米国への反発がまずあって、米国についてはマスコミ的定型的揶揄をうのみにするだけでよしとするような雰囲気を感じ、僕は逆に米国贔屓の感情を抱いていたことを覚えている。もっとも僕にしても米国のイラク政策の詳細についてはほとんど知らなかったし、関心もなかったのだけれど。ただいかにブッシュの政策がおかしいものであろうであろうと、ブッシュが億を超えるアメリカ人の支持を得ている事実、海外「侵略」を長年にわたって行っているアメリカの戦争ノウハウの蓄積と分析技術などの現実の重みを過剰に軽視し、「ブッシュ(アメリカ人)はバカで傲慢だから」というレッテルを貼って嘲弄することでよしとするような軽薄さを、フランス人の「反米」的平和運動に僕は感じた。

2月に観た青年団の平田オリザ作の『砂の兵隊』ははからずもイラク戦争に対するコメントとなっていたが、あのすかすかでずれた感じがまさにイラク戦争に対する日本の平均的な態度の表現になっているような気が今になってしてきた。

二時間半休憩なしの長丁場に加え、政治家の公的声明の引用と週刊誌記事のような内幕もので構成された芝居は、観ていてかなりきつかった。写実的な単調さをさけるため、コミカルな風刺的笑いを強調した演出となっていたが、時の経つのがゆっくり感じられ、見終わったらげっそりしてしまった。客演の江口恵美の表情や動きの表現の豊かさはとても印象的で、単調に陥りがちな劇進行のよいアクセントとなっていたけれど、この愛嬌あふれる存在感を持つ女優の魅力を十分に生かせる芝居ではなかったように思う。彼女がいたからこそ、最後までなんとか芝居を追っかけることができたのだけど。

こうしたハードな表現による政治的内容の作品を日本で上演するのは意欲的な冒険であり、意義深いとは思うが、正直なところ、作品としては「失敗作」であったように僕は思った。

突然がーんと大音響のノイズもしくは音楽を鳴らして観客をびっくりさせるような演出は個人的にはもう勘弁して欲しい。不快なだけ。