閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

曽我梅菊念力弦(そがきょうだいおもいのはりゆみ)

七幕十場
国立劇場初春歌舞伎公演
作:四世鶴屋南北
補綴:国立劇場文芸課
出演:尾上菊五郎中村富十郎、澤村田之助、尾上菊之助尾上松緑、片岡亀蔵、中村芝雀、中村信二郎
劇場:三宅坂 国立劇場大劇場
評価:☆☆☆☆★

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百六十八年ぶりの復活上演作品。錯綜する人物関係に翻弄されつつも、南北の荒唐無稽な物語のダイナミズムに酔い、菊五郎劇団の観客サービスあふれる演出・構成に、芝居の楽しさを満喫する。
上記の橋本治の著作によると、歌舞伎狂言は「定式」さえ踏まえれば、その枠内でかなりの自由が保証される。曾我兄弟ものに関しては、新春興行として江戸三座では「対面」の場を含む曽我兄弟ものの新作が明治になるまで上演されつづけた。公演パンフによると600以上の「曽我兄弟」ものが残っているそうだ。新春興行としての曽我ものの場合、おめでたい「対面」の場面が入っていて、登場人物が何らかの形で曾我兄弟に関連があればそれでいい。この作品では曽我兄弟の物語に二つの別の世話物恋愛譚がからみあう。その中心となるおその-おはんの姉妹を菊之助が演じ、その姉妹の恋人である大工六三郎と新藤徳治郎という対照的な男を菊五郎が演じる。ここまでなら、おその-おはんの姉妹を軸に、対照的な恋愛のかたちを一人二役で演じさせるのは見事な発想だな、と思うのだけど、歌舞伎の常で、この徳治郎がジツは○○、と二重性をもつ役柄だったり、他にも一人複数役の役者がいたりして、登場人物の数も多いこともあってよく注意していないとわけがわからなくなってくる。いずれにせよ三つの主筋が、やはり歌舞伎の常套であるお家のお宝の移動というモチーフを巡って、からみあっていて非常にわかりにくいお話である。
国立劇場の再現版は現在の興行時間に合わせて七幕十場構成だが、原作は全十三場のさらに複雑な構成で、様々な伏線がパズル上に配置されているのだ。こうした「前衛的」とも言えるようなレベルまで錯綜した荒唐無稽の芝居を娯楽として受容できるのだから、江戸時代の観客の「芝居民度」の高さには全く恐れ入ってしまう。

菊五郎劇団は、裸男の群れる風呂場の猥雑でコミカルなシーンや大詰の大人数による立ち回り、最後のてぬぐい配りなどのサービスで観客を喜ばせる。菊五郎劇団の公演は、昨年十一月に児雷也と今日の二度しか観ていないが、いずれも歌舞伎の娯楽性が、伝統芸の枠組みの中で、大衆芸能らしい泥臭さも残しつつ、うまく強調されているように感じる。
菊之助松緑などの若くて存在感ある役者の個性もうまく配役に生かされていたし、亀蔵田之助富十郎信二郎などの外様の人選もぴったりはまっていたように思う。