閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

西洋音楽史:「クラシック」の黄昏

岡田暁生中公新書、2005年)
西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)
評価:☆☆☆☆

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新書一冊で音楽通史の記述するという大胆な試み。愛想のない地味なタイトルにもかかわらず大学近くの書店の新書のベストセラーに入っていた。
まえがきで執筆方針が明確に述べられている。このまえがきの内容に非常に周到な印象を読者に与える。中世から現代に至る西洋音楽史を記述するにあたり、筆者がイメージするのは細々とした上流から次第に川幅を広げ、時に支流を形成しつつ、中流、下流に下り、最終的には海に至る大河の流れである。
そして読者対象として「平均的な趣味を持つクラシック音楽愛好家」を想定する。つまり十八世紀後半から十九世紀末にかけての古典派、ロマン派の音楽に親しみを感じ、それ以前の「古楽」や二十世紀の前衛音楽には積極的な関心を持っておらず、それらの音楽の「非調整的」な響きに違和感を感じるような聴衆である。
古楽」/「クラシック」/「現代音楽」という三分法自体が、音楽史への我々の歴史的距離感の違いを示唆していると筆者は指摘する。「古楽」「現代音楽」という呼称が、「古い/新しい」という時間軸のカテゴリーであるのに対し、「クラシック」という呼称にはこうした歴史性は含蓄されていない。「古楽と現代音楽は大なり小なり歴史的距離のある音楽だが、クラシックは私たちが今その中で生きている音楽環境の自明の一部である」(vページ)という指摘は、これまで僕が気づいていなかった新鮮な視点が提示されている。
この小著での音楽史では、「クラシックの時代」の音楽を語る際にはその歴史性を強調し、その特徴を相対化された視点から記述することを目指し、逆に「古楽/現代音楽」については一般の聴衆・読者にとって「自明の音環境」であるクラシック音楽との関連を強調した記述を目指す。
本論は編年体であり、西洋音楽の源であるグレゴリオ聖歌から語られるが、その語り口は枝葉末節の記述を廃し、音楽のアマチュア、「聞き手」にとって重要な情報がすっきりと整理されていて、スピード感がある。音楽の特徴の説明の仕方がときにあまりにも主観的・感覚的であるように感じられることもある。特に「クラシック音楽」以前の「古楽」の時代の記述は、僕自身がこの時代の音楽の愛好家であることもあり、この難を強くかんじた。しかし概ね、一般的なクラシック音楽愛好家に「ちょっと音を実際に聞いてみたい」と思わせるような情報が、わかりやすい文章でうまく提示されている。説明の仕方は決して「権威主義」に陥らず、通常の音楽ファンがはじめて耳にした場合感じるであろう違和感、「ひっかかり」については、とりわけ丁寧に拾い上げているように思える。
古楽の章はよくできているのだが、やはり筆者の音楽趣味と重なることが多い古典派以降の音楽についての記述は、筆ののりがいっそうよいように思える。クラシック音楽を「歴史化」することで提示される、音楽という社会現象のさまざまな切り口が興味深い。現代音楽の登場による「音楽史の終焉」についての記述も大変興味深いもので、章が進むにつれ作者の筆のボルテージもどんどん上昇していったような勢いを感じる。