閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

愛がなければ生きて行けない

西舘好子(海竜社、1987年)
愛がなければ生きて行けない
評価:☆☆☆

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他人の不幸は蜜の味とはよく言ったもので、先日読んだ西舘好子の『修羅の棲む家』が面白かったので、井上ひさし夫妻の20年前の離婚騒動ものを何冊か古本屋で見つけ購入してしまう。夫婦崩壊ものばかり喜んで読むなんて悪趣味だとは思うのだけれども、崩壊ものを読みつつ自身の夫婦関係を検証しているようなところもある。

『愛がなければ生きて行けない』は離婚翌年に出版された日記体の手記。すごいタイトルである。執筆時点で著者は四六歳。
記述内容はまだ離婚騒動の熱狂を引きずった舞い上がった感じが濃厚。「作品」としては離婚十年後に書かれた『修羅の住む家』のほうが、「事件」に対する著者の視線も熟成されていて、はるかに完成されている。記述内容を比べるかぎり、井上氏に対する憎悪はその十年の間にむしろ増幅しているのであるが。すさまじいエネルギーの持ち主だ。
『愛がなければ生きて行けない』の前半2/3には、『修羅』で繰り返し書かれる井上ひさしの暴力や暴言についてはほとんど書かれていないのが意外である。むしろここでの井上氏の姿は知的で物わかりがよい夫、激情に流される妻を制御しきれずにおろおろしている夫の姿である。僕の記憶になる離婚当時の井上ひさしのイメージそのまま。
最後の1/3,離婚が確定的になってからようやく井上ひさしの暴力についての言及が出てくる。この最後の1/3が、それまで何とか押さえつけてきた憎悪の感情が噴出するような記述が見られるようになり、野次馬読者としては好奇心をかき立てられるところ。そして最後の最後にはタイトル通り「愛のある人生の大切さ」を持ち出して開き直ってしまうのである。恋は盲目、四〇過ぎた中年になってからの恋であるがゆえに、余計に舞い上がってしまったのか。
夫婦関係や恋人との恋愛関係については詳述されるものの、夫婦関係以上に濃密であってもおかしくない娘との親子関係についての記述がきわめて少ないのが少々異様に感じられる。盲目の恋に狂い、母親としての立場を考える余裕がなかったのか、それとも後ろめたさがあったため書けなかったのか。
井上ひさしとの離婚のきっかけとなったこの激しい恋の破綻は『修羅の棲む家』に書かれている。離婚の本当の原因が「新しい愛を得たから」「愛がなくなったから」というようなものでないことは、『修羅の棲む家』を書いた時点には著者も認識していたはずだ。
井上ひさしの離婚騒動は、強烈な個性を持つひさしの母親も巻き込んで、当時のマスコミの好奇心の餌食となった。ひさしの母、井上マスの『好子さん!』という強烈なタイトル(悪意に満ちた表紙画像もすごい)も購入済み。この家の騒動は確かに面白すぎる。