閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

好子さん!

井上マス(扶桑社、1986年)
好子さん!―これだけは言っておきたかった…
評価:☆☆☆☆★

                                                        • -

著者は井上ひさしの実母。『好子さん!』というのは、井上ひさし前夫人の西舘好子氏のことである。これまた凄いタイトルである。離婚騒動の直後に出版された本。
20年以上も前にワイドショーやマスコミを騒がせた離婚騒動を今頃になってこんな「廃本」まで漁って反芻するなんて、我ながら悪趣味もよいところだと思うのだけど、ついつい深みにはまってしまったのだ。この『好子さん!』の存在については西舘好子著『修羅の棲む家』で言及されている。『修羅』を読んだ時点では、離婚後十年の年月が西舘氏に冷静な視点を与えたと思っていたのだが、この『好子さん!』を読んでみると、やはり10年たっても西舘好子氏は離婚については腸煮えくりかえる思いをむしろ増幅・熟成されていたことがわかる。
『好子さん!』は離婚騒動直後に、姑にあたる井上フサが不倫の末息子を捨てた悪妻西舘好子に「これだけは言っておきたかった・・・」苦言を並べ立ているものだ。この企画に乗る方も乗る方だが、持って行った編集者も相当悪魔的な人間だ。
しかし、悪口のオンパレードではあるものの、語り口はからりとしているので案外嫌な感じが残らない。9割は西舘好子の悪口なのだが、1割ぐらいは皮肉でなく褒めている部分がある。文章は「語り書き」スタイルでおそらく編集者の手がかなり入っているのだろうが、達者で読みやすい。悪意にあふれた嘲弄的な強調箇所があって、そこはフォントが太く大きいものに換えられている。その選択箇所のセンスが秀逸で笑える。また手書き文字で、後から膨大な補足や脚注が加えられ、文章の意地悪な面白さが増している。あとがきではこの著作は井上ひさしの了承を得ず、勝手に井上マスが書いたとなっているが、『修羅』の中で西舘好子は手書き文字の筆跡が井上ひさしのものであることを暴露している。確かに後書きの署名にある井上マスの筆跡と本文の脚注や補足の筆跡は明らかに異なっている。しかも本文中にはこまつ座公演の際のプログラムの写真が載っていて、その写真に見える井上ひさしの手書き文字は、本書の脚注・補足の筆跡と同一。井上ひさしは内容を面白くするために、「マス」がいかにも付け加えたようなふりをして、膨大な注を自身で書き加えているのである。
井上ひさしは徹底的に理想的な夫、息子として描かれているのであるが、セックスに関してはだめ夫だった、それが離婚の本当の原因だ、なんて断言しているのがおかしい。
表紙の絵柄も秀逸。贅沢な装いをして外出しようとする西舘好子がにこにこ顔の井上マスにおたまで頭をこつんとたたかれている図。各章の小見出しのセンスも秀逸。
西舘好子の『修羅の棲む家』と合わせて読むと面白さは倍増する。「廃本」同然の著作ながら、下世話な嫁いびりの悪口本の傑作であることは間違いない。
西舘好子も強烈な個性の持ち主だが、井上ひさし親子も相当強烈な個性の持ち主である。井上自身の手書きの補筆を読むと、離婚という泥沼にもだえ苦しみながらも、この修羅を面白がっている、さらに盛り上げようとするひさしの戯作者根性がかいま見えるように思える。