閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

江戸の性風俗:笑いと情死とエロス

氏家幹人講談社現代新書、1998年)
江戸の性風俗 (講談社現代新書)
評価:☆☆☆★

                                              • -

著者は幕末の奉行、川路聖謨の日記に書かれた猥談をはじめ、武士や皇族の日記等の史料を広くあたり、江戸の性風俗の実像の提示を試みる。また徳冨蘆花などの近代の作家の性生活に関する記述を対照させることで、江戸風俗の特徴を浮かび上がらせる。
著者が提示したこうした日常の性記録から観る江戸の性意識は、僕が想像していた以上に開放的で自由なものだった。もっとも著者自身の嗜好に沿って、史料の選択にはバイアスがかかっていることを考慮しなくてはならないだろうが、著者のあたった史料の広さには感歎する。春画や春本の類でなく、武人や貴族の日記からこうした記述を拾い上げる、そして川路聖謨の日記のような一級の記述に出会うには相当な読書量が必要だと思えるのだが、もとよりこの筋では有名な著作だったのだろうか。
新書という限定ゆえ、様々な性風俗の紹介に留まってて、論証のある部分も精度に乏しいが、第5章、第7章の「男色」と「心中」についての仮説は興味深かった。
江戸初期までは死と隣り合わせの日常を送る戦士の習俗としての「男色」が盛んだった。戦士としての武士の恋愛は、戦場をともに行く男同士の間で成立し、それは戦闘の高揚した精神と表裏一体であり、生死のやりとりを覚悟した真剣で強い感情の絆を形成していた。戦国から江戸初期に盛んだった衆道の習俗には、自分の身体を頻繁に損傷することで相手への恋愛の強さを示す、時に命を経つことによって恋情の激しさを示す恋の作法があった。こうした衆道の恋作法は、歌舞伎や男娼の世界の性愛を経て洗練を遂げ、江戸中期には男女間(特に遊女との)の恋愛のモデルとなった。恋愛の究極が「死」へ向かうという倒錯した美学は、男色の伝統の中で生まれ、それが江戸後期に「心中」という形に発展していく。
以上が氏家氏の仮説である。