閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

井上ひさし伝

桐原良光(白水社,2001年)
ISBN:4560049378
評価:☆☆☆☆★

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著者は毎日新聞学芸部記者.評伝となれば例の離婚劇に言及しないわけにはいかないが,丁寧な文献参照と新聞記者らしい周到なインタビュー取材を行った筆者も,やはり離婚問題の核心についてはどう触れるかさんざん頭を使った様子が窺える.西舘好子の『修羅の棲む家』にも触れ,西舘氏への取材を行いつつも,離婚についてはさらっと流した感じがある.ひさしの家庭内暴力にも触れてはいるものの,かなり遠慮した書き方だったが,著者の立場を考えると(本も白水社から出ているし)加減した書き方になるのは仕方ないだろう.

著者は作家としての井上ひさしの姿を,取材とひさしの著作からの引用によって再構成することに努め,井上ひさしの私生活についての記述は創作活動と関わりのある点のみに限定されている.幼少時,青春期の修道院付属孤児院生活,浅草のストリップ劇場での体験,ラジオドラマと草創期のテレビとの関わり,70年代以降の演劇の時代が各章で取り上げられる.
こまつ座設立以降,すなわち西舘好子との離婚騒ぎ以降の記述はそれまでの章に比べるとかなり薄い記述となっている.

膨大な引用によって,作家としての井上ひさしの才能のすごみを,巧みに浮かび上がらせている優れた評伝.「遅筆堂」とみずから筆の遅いのをギャグにしているが,井上ひさしは多作な作家でもある.豊富な材料が達者な文章と構成によってスマートに提示されていて,丁寧なテクストの読み込み作業が行われていることがわかる.
引用の形で提示される井上ひさしの創意の数々にみられる天才の輝きに圧倒される思い.井上ひさしのけっこう熱心な読者のつもりだったのだけど,未読のテクスト,未見の舞台はけっこう多い.
井上作品の読書・観劇への食欲をかきたてる,井上の作品への共感に満ちた評伝.