閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

命 四部作

柳美里(新潮文庫,2000-2002)
命 (新潮文庫)
魂 (新潮文庫)
生(いきる)―命四部作〈第3幕〉 (新潮文庫)
声―命四部作〈第4幕〉 (新潮文庫)
評価:☆☆☆★

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柳美里作品はこれまで何冊か読んだことはあるはずなのだが印象に残っていない.近所のBookoffの100円コーナーに並んでいたのを購入.最近,寺山修司の評伝や扇田昭彦のエッセイの中で言及されていた東京キッドブラザーズの東由多加に少々興味を持ったのも購入の動機の一つ.東京キッドブラザーズは90年代にも上演活動を行っていたが,僕はその舞台は一度も観ていない.
柳美里のこの著作は,柳美里と妻子ある男性の子どもである丈陽の誕生と,その誕生と交錯する生命を終えた,柳美里の恋人東由多加の闘病と死への過程を描く私小説である.単行本はベストセラーになったはず.赤ん坊である丈陽の写真を使った表紙を見て,その「あざとさ」と確信犯的な悪趣味に不快な気分になったことを覚えている.
子どもを実際に持ったことのある者なら誰でも微笑んでしまうような,柳美里東由多加の丈陽に対するあまりに素朴で,幼ささえ感じる対応の正直な描写が痛々しい.全4冊のうち,僕が面白く,と書くと内容が人の死に様の描写だけに不謹慎なのだが,読んだのは,第二幕の「魂」および第3幕の「生」である.この二巻は終末期の癌に苦しむ東由多加の姿が事細かに書かれている.これほど癌の「痛み」の壮絶さを感じさせる文章を僕はこれまで読んだことはない.特に末期に東がまともな文章を書けなくなっていく過程,便通に対して異常なこだわりを見せる場面の描写の容赦なさには戦慄する.
どう手を施そうとも確実に近いうちに死ぬことがわかっている人間に対しても,本当に最期の最期まで決してあきらめずに治療の可能性を探し,東の要求にできうる限り誠実に応えようとする柳美里の姿の力強さと迫力には心打たれる.柳美里は書くことによってかろうじて己の生をつないでいると確信する人間である.それゆえこの人の生き方は,書くことと生きることがあまりに表裏一体なために,この関係がきわめて倒錯的なレベルまで達しているように感じる.つまり「書く」素材とするために,己の人生を敢えて必要以上にややこしくしているように思えるのだ.『命』に実名で登場する編集者をはじめとする周囲の人間たちも,大人の処世で諭すよりはむしろ,こうした柳美里の「ややこしさ」指向を好んで助長しているような感じがする.
柳美里本人をはじめ「大人」たちが,己の自己顕示や生活のために,面倒なことをどんどんやって苦しむのは自業自得でかまわないと思うのだけど,生まれたときから七面倒で重苦しい物を背負わされた柳美里の息子,丈陽にとってはずいぶん迷惑な話だろうと思う.おそらく柳美里周囲の編集者たちは,丈陽がうまく素材になるよう,屈折した生育をするのを心のどこかで望んでいるに違いない.

『命』四部作はかなり「面白く」読めた作品である.特に東が死に向かっていく第二巻,三巻の重量をどんどん増しつつ加速していくような文章の連なりには読みながらぐいぐいと引込まれた.しかし読了後,僕が白けたような,興ざめした読後感を持ったのは,柳美里が子どもを持つ動機がやはり「書く」ための素材を作りたかったからのような気がしたからだ.柳美里東由多加との関係で何回か妊娠経験があり,流産や堕胎の経験がある.東以外にもたくさんの恋人がいたようだが,10代の頃の初めての妊娠だったらともかく,これほど性体験があり,堕胎や流産で心身両面でつらい目にあっている人が,なんで「避妊」を行わずに性行為を続けるのか,不思議に思った人は少なくないはずだ.東にしても,豊富な女性経験を持ちながら,避妊しなければ子どもは生まれうるものであり,そしてその子どもは己の一部でありながら己とは別個の存在である,というような発想はなかったのだろうか?
男女関係や親子関係にいろいろともっともらしい物語をひねり出したにせよ,性行為→生殖という自然な現象についてのかれらの感覚はきわめて幼稚なかんじがする.
柳美里に関しては,丈陽の出産にせよ,過去の中絶や堕胎にせよ,己が「書く」ための素材として扱う覚悟があるように思え,それが己の「業」であると開き直っている感じがあるが,生に関しては完全に受動的であり,親を選ぶことのできない子どもにとってはずいぶんはた迷惑かつ残酷な話だ.