閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

ドン・ジョバンニ

Il dissoluto punito ossia il Don Giovanni

  • 作:Lorenzo da Ponte
  • 作曲:Wolfgang Amade Mozart
  • 指揮:Sylvain Cambreling
  • 演出:Michael Haneke
  • 美術:Christoph Kanter
  • 衣裳:Annette Beaufays
  • 照明:Andre Diot
  • 出演:Mireille Delunsch (Donna Elvira), Christine Schafer (Dnna Anna), Aleksandra Zamojska (Zerlina), Peter Mattei (Don Giovanni), Luca Pisaroni (Leporello), Robert Lloyd (Il Commendatore), Shawn Mathey (Don Ottavio)
  • 演奏:Orchestre et Choeurs de l'Opera national de Paris
  • 劇場:パリ,オペラ・ガルニエ
  • 評価:☆☆☆☆☆
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今年度新制作のプログラム.パリで最初に行ったスペクタクルだったが非常に面白くて,演劇的感興を存分に味わうことのできた舞台だった.スペクタクルの感動は劇場空間の寄与する部分もやはり無視できない.ガルニエの悪趣味な豪華さの中で,贅沢きわまりないオペラというスペクタクルを見る体験には,日本の劇場では味わえない濃厚な魅力がある.
演劇的なプランに工夫があっただけでなく,音楽的にも優れた舞台だったので,はるか下方に舞台を見下ろす天井桟敷のひどい席だったにもかかわらず観客の反応もよかった.パリの観客は,日本の観客より,素朴で率直な反応をするように思えるが,カーテンコールの熱狂的な盛り上がりの中で「あー,これこれ.この感じだよなぁ」とかつてパリでの観劇体験の感覚が蘇る.

舞台設定は現代に移されていた.時代設定を変えるというのはよくあるやり方だが,幕が上がったとたん思わず声を挙げてしまうような意外性のある舞台美術だった.高層ビルの上層階の殺風景なホールを舞台とし,大きなガラス窓越しに他のビル群の夜景が見える.がらんとした殺風景なホールと美しく再現された窓越しの夜景のコントラストが印象的.登場人物の衣装も美術にあわせて現代のスタイル.ドン・ジョバンニと従僕のレポレッロは黒いスーツ姿,ジョバンニの恋人たちはオフィスで働くキャリア・ウーマン風のスーツ,その他ビルの清掃人のコスチュームを身につけた集団など.
ドラマは常に,暗さを強調した照明プランのもとに,この深夜の高層階のホールで進行していく.舞台が明るくなるのはドラマの結末部,ジョバンニが倒れ,朝が訪れた時だけ.それまで暗かった大きな窓から,朝陽が高層階ホールを照らし出す.怪しくも神秘的・幻想的な空気に満ちていて,ジョバンニの悪行の舞台となっていたホールにかけられた魔法がとけたかのように,白々と陽光に照らされる高層階ホールはありふれた日常的世界に回帰していく.ジョバンニの放っていた悪の禍々しい魅力の香りがまだ漂う場所であるゆえに,明るい光で照らされた平和な日常風景は無機質で退屈な世界を暗示しているようだった.

ドン・ジョバンニの放蕩は,現実への深い虚無感に対する抑制できない苛立ち,虚無感から生ずる精神の荒廃を反映するものとして提示されているように思えた.ドン・ジョバンニの退廃的な人物造形には,フェリーニの『甘い生活』や『81/2』のマルチェロ・マストロヤンニを僕は連想した.

三人のソプラノ歌手とドン・ジョバンニを演じたPeter Matteiの見事の歌唱はいずれもモーツァルト音楽の楽しさを十分に堪能させてくれるものだった. オーケストラの「間」の取り方もドラマの演出との連携の中で計算され,舞台の演劇性を強調した解釈であるように思えた.