閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

なぜ悪人を殺してはいけないのか:反時代的考察

小谷野敦新曜社,2006年)
なぜ悪人を殺してはいけないのか―反時代的考察
評価:☆☆☆☆

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三部構成.第一部では「復讐」という観点から死刑制度の是非を考察する.復讐「論」というよりは,トピックに関して様々な観点から自由に述べたエッセイ.著者は死刑容認の立場で,死刑反対論者の欺瞞を指摘する.文学作品,映画,演劇などにおける「死刑」「復讐」譚への言及が興味深い.復讐文学と呼んでもいいような文学の系譜がイタリア文学にはあるようだが,日本文芸の領域でも「復讐」「敵討ち」は大きなテーマであることがわかる.最後に付け足しのように「自動車廃止」を主張.復讐論の流れからはちょっと外れた感じ.ただし私的な自動車利用の制限については僕も賛成である.自動車事故によって恒常的に生み出される死亡者,けが人についてもっとまともな議論と対策はあってよい.というかなきゃおかしいような気がする.復讐論の付け足しみたいな感じではなくて,自動車社会論についてはまた別にまとめたものを読んでみたい.
第二部では著者の共和制志向が表明される.天皇制をめぐる差別とこの問題について語る知識人の態度についての文章がいくつか並ぶ.ファンタジー文学において君主制という枠組みが維持される理由について分析している章が興味深い.
第三部には5編のエッセイが収録されるが,それぞれのテーマに共通性はない.サイードの「オリエンタリズム」受容の功罪について論じた章では,カルチャラル・スタディーズが覆い隠してしまった問題について言及される.「オリエンタリズム」で提示された西洋・東洋の二項対立の視点が,西洋人の描く東洋像について新たな予断を生み出していると著者は指摘する.
「カナダ留学実記」.学業的な面では失敗に終わった著者のカナダ留学の記録.こうした苦い告白はなかなかできないものである.海外留学でのつらくみじめな経験についてこれほど正直に記した記録は珍しいと思う.この率直さが小谷野のテクストの魅力の一つだ.