閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

シラノ・ド・ベルジュラック

http://www.spac.or.jp/repertory/repertory04c.html
http://www.nntt.jac.go.jp/season/updata/10000116.html

  • 原作:エドモン・ロスタン
  • 翻訳:辰野豊/鈴木信太郎
  • 構成・演出:鈴木忠志
  • 照明:丹羽誠
  • 衣裳:岡本孝子
  • 美術:戸村孝子
  • 出演:蔦森皓祐 竹森陽一 新堀清純 永井健二 吉見 亮 仲谷智邦 久保庭尚子 内藤千恵子 鶴水ルイ 福寿奈央 日和佐美香 大川麻里江 佐山花織 齋藤志野 斉木和洋 榊原 毅
  • 時間:1時間25分
  • 劇場:初台 新国立劇場中劇場
  • 評価:☆☆☆☆
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鈴木忠志演出の舞台はこれが今年三本目.東京での公演は十数年ぶりだと言う.同じ新国立中劇場での二本立て公演『イワーノフ/オイディプス王』も観たかったのだがこちらはチケットを入手できなかった.来月は鈴木演出,モスクワ芸術座による『リア王』公演が新国立劇場であるが,こちらは日程が合わず観ることができない.
俳優の独特な集団舞踊的な動き,明暗のコントラストを強調しスポットライトを効果的に使った照明,不自然な抑揚の発声など,スペクタクル重視の独創的スタイルがもたらす表現のインパクトは強烈.視覚的な美しさ,舞台上に作り出す絵画的情景へのこだわりは歌舞伎の装飾的な舞台を想起させ,間奏曲のように時折きわめて効果的なやり方で挿入され,観客に強い印象を植え付ける集団による「舞踊」的場面は,フランスバロックのバレエ付きオペラを連想してしまう.音楽の使い方や照明の変化の導入が非常に洗練されている.現代版洋風歌舞伎.テクストは1時間25分に刈り込まれている分,物語の厚みはかなりそがれてしまった感はいなめない.スペクタクル重視の分だけ,テクストの文学性は確実に後退しているように思う.
視覚重視の強烈な様式感の舞台は圧倒的な印象を観客に残すのだが,その審美的表現の和風趣味,それも日本マニアの才能ある外国人が構築したかのようないびつさと幻想性を持った和風のセンス(ステレオタイプでもある)には,観ていてなんとなく居心地の悪さを感じてしまう.西欧人には受け入れやすいだろうなとは思いつつも,日本人としてはこのいかにも人工的で観念的でありながら,通念として定着している「日本趣味」は素直に受け入れがたいような気がする.少なくとも僕はざらざらとしたひっかかりを感じるのだ.
照明が暗めなせいか,そしてテクストの刈り込み方が大きくて展開に飛躍が大きいためか,1時間25分の演目にもかかわらず寝ている観客が多かった.僕も実はかなり眠くなったのだけれど,最後の紙吹雪のシーンは圧巻としか言い様のないほどの力強い美しさに満ちていた.新国立劇場のかなり間口が広く,しかも高い天井の舞台から,驚くほど大量の紙吹雪がかなり長い時間にわたって舞い落ちる様子の美しさは壮絶だった.『シラノ』に限らずどの作品でも使えそうな「手」ではあるが,紙吹雪もあそこまで徹底してやるとすごい迫力である.
『シラノ』の物語は単純化され,その基本骨格を抽出して再構成することで,鈴木様式に再構築されていた.
鈴木忠志のような,力強い視覚表現を特色とし,かっちりとした様式感を持つ演出なら,コルネイユの『ル・シッド』などをやればかっちりはまり,素晴らしい舞台となりそうだ.ところが実際には『シラノ』なりマリヴォーあるいはチェーホフなり,様式感よりもむしろ対話のやりとりを通して物語や人物の心理を編み上げていく「言葉の演劇」を鈴木が取り上げているのが興味深い.あえて逆説的に「言葉の演劇」を鈴木式に解体して再構築することで,作品に内在していた演劇的スペクタクルを抽出ことに新しい表現の可能性を求めているからだろうか.『シラノ』では最後のシーンの圧倒的な美しさが鈴木演出に対する違和感を帳消しにしてしまったけれど,鈴木忠志の舞台の強烈な独創性にはおしりがむずがゆくなるような居心地の悪さを感じてしまう.