閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

芸術立国論

平田オリザ(集英社新書,2001年)
芸術立国論 (集英社新書)
評価:☆☆☆

                                                                        • -

芸術文化政策,アートマネージメントへの提言集.芸術の「公共財」としての役割を協調し,地域特有の芸術文化の創出は地域社会への帰属感への誇りをもたらすと著者は主張する.しかしこの著作での著者の主張は,著者自身が個人的妄想であると断っているとおり(「芸術保険制度」といった突飛であるものの魅力的提言をはじめ)その実現にはのりこえることがほとんど不可能だと思えるような絵空事めいたものが多い.

この著作では前提としてしっかりと検討されていない,文化・芸術という概念があまりに多様で漠然としているのがまず問題だ.著者は青年団という劇団主宰者であることから,彼がこの著作で具体的に想定する文化・芸術活動は演劇をモデルにしていることが多い.著者が考える,地域住民が享受する権利があり,行政による提供努力がなされなければならないとされる芸術・文化は,大衆文化ではなくおおむね高尚な文化となっている.もとより多くの人間が自発的に享受する大衆文化は行政の保護などなくても自立しているのだ.

高尚な芸術文化の振興が果たして地域住民の「誇り」にどれほど貢献しうるのか,僕には正直よくわからない.演劇というジャンルで言えば,僕自身は青年団の芝居は好きなのだけど,平田オリザが埼玉のふじみ野市でやっている文化活動は,地域の文化的実体とはあまりに乖離した高踏的な活動であるように思え,かなりの違和感を覚えるのである.やはりある程度の高尚な芸術的表現は,そうした表現を享受しうる審美的経験を有した人間が集まる大都市の環境でしか成立しえないように思えるのだ.世田谷パブリックシアターも渋谷に近い三軒茶屋だかこそ成立しうるのであり,地方郊外都市の劇場ではやはりああいった活動は困難ではないだろうか.静岡市のSPACの活動自体もどういったかたちで市民に受け入れられているのだろうか?
僕自身はかなり演劇を多く見る人間だし,いわゆる「高尚な文化」に日常的に接することがたやすくできる環境・状況にあるが,たとえば大学で教えていても,金はともかく自分で使える時間は多い学生はもちろんのこと,大学の先生といった人たちでさえ,芝居など年に一度も見ない人間が大半なのだ.地域住民に舞台芸術を提供といった場合,今の日本の観劇状況を考えると,いきなり「青年団」や「SPAC」のような先鋭的な表現スタイルを持つ演劇を提供するのが,芸術の公共性の観点からみて正しいことかどうかは疑問だ.


芸術文化に対し高度な公共性を日本の社会,とりわけ地方においてどのようにして承認させることができるのかについて著者は正面から答えようとしているが,その回答は必ずしも歯切れはよくない.第四章にある課題1,市民から議会を通して「我が市では,福祉行政さえもまだ不十分であるのに,なぜ直接市民の生活の向上に役立たない文化行政に多くの予算を割くのか,理想は分かるがまだ時期尚早ではないのか」といった問いかけや課題2あなたが選んだ舞踏の公演が「海外にいかに評価されていようとも,前衛的すぎて,多くの市民の共感を得られるものではない」といった問いかけへの答弁書として提示した著者の見解もいぜん説得力に乏しいように僕には思えるのだ.

しかしちょっと考えてみれば基礎科学や人文学といった学問の最先端の部分もまた「公共財」足りうるのかといった問いも,この演劇文化活動の公的支援の問題と根っこは同じだ.こうした学問を研究・教育する大学などの機関運営にはかなり大きな額の税金が投入されているからである.
当事者としては何とか外側の人間を説得できるだけの理屈を用意しておく必要はある.
要は日本の公的文化の枠外に常にあった「芝居」という項目を,知の枠組みのなかでしかるべき位置づけを行わなければ,その「公共財」としての意義を唱えることは難しいように僕には思われる.それは「演劇」を伝統芸能の枠組みに押し込めてしまう危険性もあり,やりかたによっては演劇活動のダイナミズムに枷をはめることになるかもしれない.

この著作の中で示された提言についてはあまりにも理想主義的で,かつ「芸術」の立場に寄りかかったことから立ち上る啓蒙臭にも不愉快なところがあり,同意できないことが多かった.果たして演劇というのは多くの市民にとってありがたいものなのか? しかし実際に制作する立場にある人間がこのような問題について真剣に考え,具体的な方策を見つける努力をすることはとても大切なことだと思う.平田オリザは大学や行政との折衝の中で,この恐ろしく面倒でやっかいな作業を引き受け,前に進もうとしていることは大いに評価しなくてはならない.こういった力のある演劇人が模索を続けることで,芸術文化と社会の折り合いの理想的な形が少しずつでも見えてくることを願う.