閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

コリオレイナス

http://www.saf.or.jp/p_calendar/geijyutu/2007/p0123.html

コリオレイナス』は未読・未見のシェイクスピア作品だった.シェイクスピア作品の中でも歴史劇系は敷居が高い.作品を読解し,楽しむためには,作品の背景となっている歴史知識が必要不可欠であるような気がするからだ.
蜷川演出作品は視覚的インパクトの鮮やかさには感心することはあるけれど,作品解釈という点では不満を感じることが多かった.今回の舞台の視覚的な仕掛けで,蜷川演出ならではの印象的なスペクタクルを堪能させてくれた.また今回公演は役者が実力派揃いだっただけでなく,アンサンブルとしてもよくまとまっていたように思う.主演の唐沢寿明は膨大な台詞にのどがつぶれてはいたものの,その熱演ぶりには引き込まれたし,コリオレイナスの友人役を演じた吉田剛太郎の堅実な解釈と演技,白石加代子の強烈な個性と個性的な人物造型がうまく絡み合い,凝縮された充実した舞台時間が持続した.白石加代子の人物造型は独特である。コリオレイナス以上に強靱な意志を持つ母親の役なのだが、喜劇的でありながら作品の世界観にはぴったりとはまっていて違和感がない。白石の存在がなければ、芝居全体がもっと重苦しく、しかも白々しいものに成っていたに違いない。
テクストもすばらしかった.『コリオレイナス』は共和政の古代ローマの衆愚の中で,宿命的に惨殺されるはめになった妥協を知らない高貴,高潔の勇者の悲劇である.付和雷同し,目先のことしか見えない民衆の愚かさが,高邁で狷介な貴族の戦士と対照されることで,激しく風刺されている.ここで風刺される衆愚とは,民主主義社会の日本に生きる我々そのものの鏡である.蜷川は歌舞伎座での『十二夜』の公演でも使ったという,巨大なマジックミラーを舞台全面に配置し,何度か客席の観客の姿を映し出す.
母親や妻との関係,武人としての公の立場,自己の社会的栄達,自らの高邁な理想,こうした様々なパラメーターの中で,身を焦がすように激しく葛藤するコリオレイナスは優れて劇的な人物である.
変化に富み,スケールの大きい美術,激しい戦闘シーンのスペクタクル,そして役者たちの熱演などで,こうした葛藤のもたらす劇的緊張感は3時間以上とぎれることはなかった.重厚で充実した演劇的感興を味わうことのできる舞台だった.