閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

ラプチュア:うちょうてんな人々

演劇集団円公演
http://www.en21.co.jp/rapture.html

  • 作:ジョアンナ・マレー・スミス
  • 訳・演出:山本健翔
  • 監修/:小森美巳,佐和田敬司
  • 美術:伊藤雅子
  • 照明:小笠原純
  • 効果:穴沢淳
  • 舞台監督:大島明子
  • 演出助手:林紗由香
  • 宣伝美術:猪子進
  • 制作:加藤晶子
  • 出演:青山伊津美,石田登星,井上倫宏,唐沢潤,込山順子高橋理恵子
  • 上演時間:二時間二〇分(休憩一〇分含む)
  • 劇場:田原町 ステージ円
  • 評価:☆☆☆☆
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作者のジョアンナ・マレー・スミスは,現在のオーストラリア演劇を代表する劇作家のひとりで,英語圏のみならず世界中でその作品は上演されているとのこと.日本でも既に何作か上演されているが,僕がこの作家の作品を観るのは今日が初めてである.
合計100席ほどの客席は舞台の両側を挟む形で設置されていた.舞台上には,装飾は簡素ながら裕福そうな家庭の居間が再現されている.三組の夫婦が登場人物だが,そのうちの一組,作家の夫と元編集者の妻の夫婦の居間である.ソファとガラス・テーブル,奥にダイニングテーブル.舞台美術は長辺七メートルほどの長方形の中に組まれている.劇中,場面転換はない.
原題のraptureは英和辞典を引くと次のような意味が載っている.

1 有頂天, 狂喜, 歓喜, 恍惚(境); 歓喜の表現[現われ].
・be in raptures 有頂天になっている〈about, at, over〉.
・go [fall] into raptures 有頂天になる.
2 《まれ》 《特に天国へ》人を運び去ること; 《古》 誘拐.(『リーダーズ英和辞典』第二版)

フランス語rapt(ラテン語raptus)に由来する語だが,原義は「奪い取ること」である.そこから「人の心を奪い取る」→「魅了する」→「有頂天にさせる」といった意味に発展していったようだ.定冠詞付大文字で,「the Rapt」となるとキリスト教用語で「歓喜」の意味となる.『リーダーズプラス』によると《地上への帰還の途中のキリストと中空で出会うと一部の根本主義者 (fundamentalist) に信じられている経験》を示すらしい.

[以下作品内容に触れています]


作品内容はこの「ラプチュア」の語義を敷衍したものであると言える.登場人物は三組の夫婦.彼れはそれぞれのキャリアの中でそれなりの社会的・経済的成功を収めた知的ブルジョワである.長年家族ぐるみの友人つきあいを続けてきたのだが,その三組の夫婦のうち,一組が大火事で邸宅を失ってしまったのを機に,突然人間が変わってしまう.彼らは宗教的啓示によって倫理的な正しさに基づく生を選び直すのだ.世俗の世界から,彼岸の境地へと急に「運び去られて」しまうのだ.七ヶ月の音信不通の後,火事で邸宅を失った夫婦は,友人たちと再会する.生まれ変わった彼らの正しさはの揺るぎない強さに,経済的・世俗的成功の中で日常の中の欺瞞や不誠実さを糊塗してきた残る二組の夫婦は大きく動揺してしまう.彼らが抱えていた欺瞞や後ろめたさは,当事者にとってはそれなりに深刻なものであったにせよ,誰もが抱えうるようなありふれたものでもある.しかし容赦ない真実を突きつけられたとき,細かい綻びはたちまち巨大な決壊となり,それまで彼らが欺瞞のなかで維持してきた関係が脆くも崩れ去ってしまう.

翻訳調の過度に技巧的で文学的な台詞の空々しさが最初は気になる.連鎖反応のようになめらかに連なる台詞のリズムは音楽的ではあったが,この対話の虚構的雰囲気は敢えて強調されているように思った.おそらく対話の様式感を高めることで,この対話内容の空虚さと人間関係の欺瞞をデフォルメした形で表現することをねらったのだろう.

それなりに安定した日常的惰性の生活について,突然ナイフのように「真実」を突きつけられ,その惰性に潜む欺瞞と退廃を指摘されたとき,我々はどういう反駁をしうるだろうか.
こうした倫理的問いかけをされた「俗人」のとまどいといらだちが丁寧に表現された戯曲だった.
世俗的な成功を収めた人間がその頂点で急にその成功の空しさに気づき「出家」へと走ってしまうメンタリティがうまく説明されている.

女優の高橋理恵子の美しさの魅了されてしまう.かつての倉田まり子系の顔立ちだが,かすかに意地悪でいびつな雰囲気が表情に漂っているところが何とも言えず魅力的.