閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

ねずの木の唄

家に帰ると6歳の娘が描いた「絵本」が机の上にあった。「ねずのきのうた」とタイトルが記してある。「面白そうな本だね。いったいどんな話なの?」と娘に聞くと「パパがこの前お話してくれたやつだよ」と言って隣の部屋から本を持ってきた。
吉原素子、吉原高志訳『初版グリム童話集2』(白水社、1997年)
初版グリム童話集〈2〉
僕が家にいるときは、子供が夜寝る前にできるだけ何かお話をするようにしているのだが、ここ2週間ほどは『初版グリム童話集』からお話を選んで読むことが多い。出版当時におそらく書評を読んで関心を持って購入したものの何年間もずっと積ん読になっていた本である。「ねずのきのうた」のもとになった話は、3日ほど前に読んだ話だった。上記の本では「四十七 ねずの木の話」というタイトルの童話である。

グリム童話のとりわけ初版には、後の版では削除された残酷な話がかなり含まれているのだが、「ねずの木の話」はその中でもからりとした脳天気な残忍さで抜きんでている。以下に概要を記す。

二千年(!)ほど昔のこと、一人の金持ちの男がいて美しく敬虔な妻をめとった。長い間二人には子供ができなかったのだが、庭先のねずの木の下で妻が祈ったところ、妻は妊娠した。妊娠七ヶ月目にたわわに実ったねずの木の実を妻はがつがつ食べたところ、鬱状態に陥って寝こんでしまった。八ヶ月に妻は自分が死んだらねずの木の下に埋めて欲しい、と夫に伝えると再び上機嫌になった。九ヶ月目に可愛らしい男の子が生まれ、妻はたいそう喜んだが、喜びすぎて死んでしまった。夫は妻を遺言通りねずの木の下に埋めた。
夫はその後二人目の妻をめとった。二人目の妻との間には女の子が生まれた。二人目の妻は自分の娘は可愛かったのだが、前妻の子である男の子はじゃまでならない。男の子は継母にひどくいじめられた。
ある日、男の子が学校から帰ってくると継母が呼ぶ。
「ぼうや、りんごを食べたいかい?」
と手招きするので、男の子は継母について行った。大きな箱の中にリンゴは入っていた。継母は箱の重いふたを開けると、
「自分で箱から一つおとり」
と男の子に言った。そして男の子が箱の中をのぞき込んだとき、激しい勢いで箱の重いふたを閉めた。男の子の首は箱の中に落ちて、男の子は死んでしまった。
継母は急に恐ろしくなった。自分の部屋のタンスから白い布をとってくると、男の子の頭を元通り体の上にのせ、首の部分が見えないように白い布でぐるぐるまきにして、男の子の手にリンゴを持たせ、椅子に座らせた。
妹のマルレーンちゃんは、そんなことがあったことを知らず、白い布を首に巻いたお兄ちゃんに話しかける。しかしお兄ちゃんは青白い顔をして返事をしてくれない。お母さんにそのことを伝えると
「もう一度声をかけても返事がなかったら、お兄ちゃんの耳のあたりをぶってやるがいい」
とお母さんは答えた。
マルレーンちゃんはもう一度声をかけるが返事はない。耳をぶつと、ごろりとお兄ちゃんの頭が落ちた。マルレーンちゃんはびっくりして泣いてしまった。
「ああん、あたしお兄ちゃんの頭をおとしてしまったわ」
「このことは誰にも言ってはだめよ。もうしかたないのだから。お兄ちゃんは酢で煮てしまいましょう」
お母さんはこう言うとお兄ちゃんを細かく刻んでから鍋に入れ、酢で煮込んでしまった。マルレーンちゃんはそのそばでずっと泣き通しだったため、涙が鍋の中に入り、スープはほどよい塩味となった。
お父さんが帰ってくると、お母さんはそのスープをお父さんに出した。お父さんはそのスープが気に入って一人でみんな飲み干してしまった。そして骨はテーブルの下に投げ捨てた。マルレーンちゃんはタンスから一番上等な絹の布を取り出すと、それで骨を残らず包み、庭先のねずの木の下の草陰に置いた。するとねずの木から靄のようなものが出てきて、そこから火が燃え上がり、一羽の美しい鳥がその火の中から飛び立った。鳥が飛び立つと、骨の入った布はねずの木の下から消えてしまっていた。
鳥は金細工師の家に飛んでいき、その屋根にとまり、美しい声で次のような唄を歌った。

おかあさんがぼくを殺し、
おとうさんがぼくを食べた。
妹のマルレーンちゃんが、ぼくの骨を残らずさがし、
絹の布に包んで、ねずの木の下に置いた。
キヴィット、キヴィット!
なんてきれいな鳥だろ、ぼくは!


その歌声に魅了された金細工師は鳥に金の鎖を与えた。
それから鳥は靴屋へ行きそこでまた同じ唄を歌った。靴屋は靴を鳥に与えた。
次いで鳥は水車小屋に行き、粉ひきの若者の前で同じ唄を歌った。粉ひきたちは鳥に大きな石臼を与えた。
鳥はもとの家に戻り、ねずの木の上にとまり、同じ歌い出した。
お父さんが歌声の美しさに惹かれ外に出ると、鳥はお父さんに金の鎖を落とした。次いでマルレーンちゃんが外に出ると、鳥はマルレーンちゃんに靴を落とした。
鳥の歌声にがたがたと震えていた継母がたまらなくなって外に出ると、鳥は継母の頭の上に大きな石臼を落とし、継母は押しつぶされて死んでしまった。ねずの木のあたりではまた靄と炎が立ち上り、それがおさまるとそこには小さなお兄ちゃんがたっていた。お兄ちゃんはお父さんとマルレーンちゃんの手を取った。三人は大喜びで家に入り、食卓について食事をした。

子殺し、人肉食といった猟奇的事件があっけらかんと脳天気な雰囲気の中で述べられているのには恐れ入る。そしてブラック・ユーモアに満ちたあの歌はお話の中で五回繰り返されるのだ。他にもペローの童話「ろばの皮」や「青ひげ」の奇妙なバリエーションなど、僕の手元にある第二巻だけでも、『初版グリム童話集』にはグロテスクな想像力にあふれた怪作が何編も含まれていて、読み応えがある。子供への読み聞かせのテクストとしては正直あまりにも悪趣味であるようにも思えるのだけれど。
「ねずの木の話」は読んでいる僕も面白くて、歌の部分では即興で節をつけて歌いながら読んでいた。娘に読んだのは三日ほど前に一回だけなのだけれども、話のインパクトは子供心にも強烈だったらしく、娘が描いた「ねずのきのうた」の本文中にはぼくがそのとき歌った歌詞がほぼ完全に採録されていた。ほんの数回耳で聞き取っただけなのに、子供の記憶力のよさに驚嘆してしまう。