閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

ロミオとジュリエット

三条会
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  • 原作:シェイクスピア
  • 演出:関美能留
  • 照明:佐野一敏
  • 出演:橋口久男、大川潤子、寺内亜矢子、舟川晶子、立崎真紀子、中村岳人、榊原毅、牧野隆二
  • 時間:約1時間
  • 劇場:千葉市検見川浜 美浜文化ホール
  • 評価:☆☆☆☆
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一時間に圧縮された三条会版の『ロミオとジュリエット』。原作の展開はほぼ忠実になぞりながらも、強烈なデフォルメが加えられ、グロテスクな魅力に満ちた独創的な舞台となっていた。
関美能留の独創的な作品の読替えとその読替えを具現する三条会所属役者の身体的表現力の豊かさのアンサンブルを堪能する。
黒背景、黒床のシンプルな舞台。舞台中央の後ろよりには、三メートル四方ほどの大きさ、高さ一〇センチほどの壇が据えられ、その上に学校机がもうひと組置かれている。この中央の学校机-椅子を中心に、シンメトリックな形で四つの学校椅子が正方形に配置されている。前方の椅子は、学校机と組になっていて、左手の机にはかわいらしい小さな蛙のぬいぐるみ、右手の机にはパソコンが置かれている。中央の机の上にはプロジェクタが設置され、背景の壁に上演前には「携帯電話を消してください。でも愛は消さないでね」という観客への注意、上演後、前半部分ではロミオの台詞が投影される。芝居の後半には何もテキストは投影されていなかったように思う。
スキンヘッドの異形の俳優、中村岳人による口上から芝居は始まった。やはりスキンヘッドのマーキューシオ役の柳原毅は片肘で寝っ転がったリラックスした姿勢でその口上を聞く。口上は満面の笑顔で行われ、そのプレゼンテーションはだじゃれなどのギャグを交えた滑稽な雰囲気ではあったけれど、マイク代わりに手に持って振り回しているのは包丁である。口上を聞くマーキューシオも包丁を手に持つ。
口上が芝居の設定を説明している間に、ジュリエットが入場し、正方形に配置された4つの座席に座る。ジュリエットは四人いた。左手に座った二人は赤いドレスを、右手に座った二人は白いドレスを身につけている。ガムをもぐもぐ噛みながら舞台に上がるジュリエットの姿には深い退廃の空気が漂っている。
「長女ジュリエット」の大川潤子が、ETのような容貌のスキンヘッド異形のロミオ、橋口とバルコニーでの愛の対話を演じる。ロミオは客席から登場する。最初はロミオの台詞回しは棒読みで感情が入らない。次第に劇的な調子を帯びてくる。ジュリエットの台詞は、次第に台詞の内容にそぐわぬ壊れた機械のような激しさを帯びる。右手奥に座った白い服をまとう「次女ジュリエット」は、前半は「長女ジュリエット」の台詞にあわせて無言劇を演じるが、後半になると「主人公」としてジュリエットを演じる。左奥に座っていた赤い服の女は「乳母」として時折声のみでドラマに介入してくる。
ロミオの決闘、ジュリエットの仮死の場面が、原作の通りの順序で演じられる。しかし制御不能の壊れた機械のようになった役者の暴走はエスカレートしていき、彼らが語るオリジナル・テクストの美しい台詞は、彼らのグロテスクなユーモアに満ちた演技と齟齬を生じ、テクストのメッセージはシニカルな意味合いを帯びるようになる。口上役はしばしば劇中に介入するが、口上役は、芝居をまとめるのではなく、こうした自壊をさらに促進させる。しかし原作に忠実な展開がドラマの枠組みをかろうじて支えている。

観客の解釈欲・想像力を強烈にかきたてる演劇的示唆の豊かさが三条会の舞台の魅力だ。作品は、舞台からの印象よりもずっと、一般的な解釈に沿う形で、提示されている。しかし実際の作品は、三条会役者の強烈な身体を通し、原作とは全く異なるイメージのものに変容している。関美能留のデフォルメは、現代的なコンテクストで説得力のある表現とするための演劇的操作であるように思う。古典の枠組みを十分に活用しつつ、それを強引に彼が感じる現代のコンテクストにぶつけていく。同じテクストを現代の日本のわれわれが眺めるときに感じる、皮肉、虚無、脱力的な笑いといったかたちであらわれる違和感が三条会の作品では拡大されて表現されているように思える。

三条会所属の役者たちの異形性の強烈さとシャープで洗煉された照明は、こうした特異な読みがもたらす違和感をさらに効果的に拡大している。

今回の舞台での難を上げると、次女ジュリエット役の役者の台詞だけが聞きづらかったことだ。あの台詞の美しさが、舞台のグロテスクな表現と対照をなしているのだから、台詞の聞かせ方には工夫が欲しかった。会場は残響がちょっと強すぎたせいもあるけれど。

七月末に野外劇場で行う三条会版『ひみつの花園』は、日程の関係で見るのをあきらめていたけれど、やっぱり無理をしてでも観に行きたくなった。さあどうしようか。

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有楽町線終点の新木場駅から京葉線で蘇我方面に20分ほどのところにある検見川浜にできた新築の市民ホールでの公演。昨日オープンしたばかりだとのことで、収容人数350名、千葉市の施設である。

ディズニーランドのある舞浜から15分ほどのこの駅で降りるのははじめて。高層の団地が広々とした敷地に並ぶ新興住宅地だった。新しい住宅地の風景はどこも似たりよったりではあるが、パリ北東郊外にある比較的新しいHLM(低所得者向け集合住宅)が立ち並ぶボビニーを連想したのは、整然とした住宅地の中にある立派な劇場での演劇鑑賞(それもかなり前衛的といえる)というミスマッチが共通しているからだ。

ボビニーはパリ北東部の移民住民の多い地区で、5番線メトロの終点にある。高層の団地群と超大型のスーパーが駅周辺にゆったりとした感覚で立ち並ぶ。その中にぽつんとあるのがMc93という中規模のホールを二つ持つ近代的な劇場で、主に海外の先鋭的なスタイルの劇団の公演が行われていた。ボビニー市民は割引があったが、観客のほとんどはパリからやってきた演劇オタクで、ボビニー住民のマジョリティを占めるであろうアフリカ系フランス人の姿を劇場で見かけることはほとんどなかった。
この千葉市のはずれの新興住宅地にできたこのホールも、三条会などを中心に、Mc93のような個性的な劇場になれば面白いのになぁと、ちらりと思う。高度な芸術的舞台表現に対する受容能力もこの地区の住民は突出して高くなってしまうなんてことになれば楽しいのになぁ。