閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

八月納涼大歌舞伎

http://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/2007/08/post_15.html

1968年に募集された明治百年記念演劇脚本当選作の一つ。1987年に現勘三郎らによって歌舞伎座で初演された作品。
幕末の薩摩を舞台に、下級藩士や技術者たちの間のまっすぐな兄弟愛、恋愛、友愛を描いた作品。正直、陳腐でつまらないストーリーだと思った。この手の芸のない近代劇はもはや歌舞伎でしか上演できないようにも思う。亀蔵が英国人技師を演じたのは凄い。英語訛の日本語で台詞もしゃべらなくてはならないのだ。主人公の友人役の猿弥の演技が達者。彼の演技は、このような臭い芝居でも、気恥ずかしあを感じさせない洗煉された技術があると思う。対照的なのは勘太郎。役者としては本当に不器用な感じがする。台詞の上っ面をそのまま表現するしか思いつかない、といった感じで、その浮き上がりぶりが見ていて痛々しい。

抽象的で簡素な舞台美術で繰り広げられる越前武朝倉義景とその妻小少将の悲恋物語。象徴的な表現の舞踊劇で竹本の音楽も多彩で聴かせるのだが、三階席に漂う催眠電波に捕まり、夢うつつの状態での鑑賞になってしまったのか。
舞台を見ていると何秒もたたないうちに眠りの夢幻の世界にいて、その非現実の浮遊感を楽しんでいると、突然はっと目が覚めて現実に戻るといったことを何十回も繰り返す。これはこれでとても心地よいのだけれど、こんな楽しみのために芝居に行っているわけではない。それにしても歌舞伎座の三階席というのはあんなに狭苦しいのに、どうしてあんなに気持ちよく眠れるのだろうか。

今回の『納涼大歌舞伎』の演目の中では個人的に一番楽しむことができた作品。三津五郎は上手いなぁと改めて思う。五月に松緑と組んだ周五郎作品もよかったけれど、この作品でも肩の力の抜けたひょうひょうとした味わいの演技。元女郎の幽霊役、福助の演技も役者ののりが感じられ、三津五郎とうまく調和して軽やかな喜劇的雰囲気の軸を作り出していた。

視覚、音楽とも華やかで幻想的な舞踊劇。渡辺えり子は歌舞伎という枠組みの中でののほうがのびのびと自由に創作している感じがする。広い歌舞伎座の舞台をいっぱいに使った群舞の場面が印象的。


「納涼大歌舞伎」の演目の中で唯一歌舞伎らしい演目。政岡と八汐の跡継ぎの毒殺をめぐる城中でのすさまじい対決の物語に、その毒を調合した医師の殺害事件という世話物をからめ、この二本の筋が交互に演じられるという趣向。
第二幕の世話物の場面、錯綜した人物関係を眠気のため追うことができない。ほぼ熟睡。
勘三郎の政岡の迫力ある演技にちょっと目覚める。