閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

童貞放浪記

http://www.bunshun.co.jp/mag/bungakukai/index.htm
小谷野敦、「童貞放浪記」、『文學界』、第61巻10号(2007年10月号)、159-185頁。
評価:☆☆☆☆

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三十歳童貞男の猛烈に切なくもあると同時に、何とも言えず殺伐とした描写に読んでいて胸が締め付けられるような思いをした。なんとも身も蓋もないタイトルであるが(『麻雀放浪記』のパロディの意図もあるか?)、読了すると作品の雰囲気はまさにこの散文的なタイトルにいかにもふさわしいように思える。
いい年、既に三十を過ぎようとする童貞男が抱く性的不毛の苦悩をこれほどまでに赤裸々にリアルに描いた小説を僕はこれまで読んだことがないように思う。私小説的な作品なので、主人公を元祖「もてない男」である作者と重ね合わさずにはおられない。
名門大学とその大学院を卒業し、著書も既に出版され、三十にして大阪のそれなりに知られた大学に就職した、少なくともアカデミズムの世界の枠内ではそれなりに順調なコースを歩む男が主人公である。しかし齢30を超えてなお性体験がないというコンプレックスが、この男に大きな屈折をもたらしている。社会的に認められたステイタスを持つ人間が、童貞であるというギャップ。今の日本で童貞であることは重大な欠落感をその当人にもたらす。
これまでほとんど語られることのなかった、三十男のオナニー、ストリップ、風俗通いといった、痛々しさを感じさせずにおられない詳細な性生活の描写は、読み手であるこちらの気分も陰鬱にさせる。
小説の後半はふとしたきっかけで親密になった大学院の後輩との恋愛の描写が中心となる。男にとって童貞喪失の格好のチャンスである。「はやく、やりたい」という本音とあせりの中、プライドと欲望の狭間で右往左往する男の不安定な成人状態がリアルに記される。彼女と恋愛することよりも、彼女を相手に自分が童貞喪失することがはるかに重要である、という極めて自己本位な、そして痛切な男の願望が露骨に描き出されるのだが、結局、童貞であるというコンプレックス、未経験であることによる自信のなさ、そしてプライドがじゃまをして男は思いを遂げることができない。アンハッピーエンドの無惨さのリアリティには思わず、読んでいるこちらも思わずため息が漏れた。小説のごつごつとした展開とぎごちなさを感じる文体は、技術的な稚拙さよりもむしろ、童貞であることのコンプレックスという闇を抱えながらもがき苦しむ主人公の彷徨の有様を反映しているように感じられる。

性体験の欠如というコンプレックスは、それが明らかになった場合の負のイメージの大きさゆえに、各個人の心に秘められたまま鬱屈しがちである。しかし性はやっかいなことに、特に青年期においては理性的にはどうにも制御しえない面があり、性が抱える問題を「なかったこと」とすることは極めて難しいのだ。小谷野氏はこの小説によって、性情報のあふれる現代日本社会で、童貞であることの苦悶と惨めさを抱えつつも沈黙するしかなかった暗い情念に、おそらくはじめて明確な言葉を与え、そのリアルな実態を浮かび上がらせたのだ。