閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

カゼリオ アナーキスト

フランス演劇クレアシオン

  • 作:ロジェ・デフォッセ Roger DEFOSSEZ
  • 訳・演出:岡田正子
  • 美術:皿田圭作
  • 照明:朝日一真
  • 音響:富田健治
  • 衣装:井上よしみ
  • 出演:山本健翔、千葉拓夫、きっかわ佳代、小島とら
  • 劇場:恵比寿 エコー劇場
  • 上演時間:1時間40分
  • 評価:☆☆☆★
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作者のロジェ・デフォッセは、フランスの劇作家。イヨネスコの『禿の女歌手』と『授業』の長期公演を続けていることで有名な小劇場、ユシェット座所属の俳優でもある人物。訳・演出の岡田正子は数十年来フランスの現代劇の紹介、上演を続けている演出家である。

タイトルとなっている人物、カゼリオは実在のアナーキストである。彼は1894年にリヨンでフランス大統領サディ・カルノをナイフによって暗殺した。芝居はプロローグ、エピローグを含め、十場で構成される。最初の場では幕が降りた状態で、リヨンでの大統領のパレードを見学する親子連れの声のみが聞こえる。親子連れの会話によってカゼリオの大統領暗殺の様子が語られる。幕が開くと、舞台はガゼリオが収容された独房の中。以後エピローグを除き、この独房が舞台となる。各場十分ほどの長さで、場が終わる度に暗転して、時間が一日ずつ進んでいく。審判を待つガゼリオと、その独房を訪れる予審判事、カゼリオと一夜をかつてともにした娼婦、牢番との対話を通し、少しずつカゼリオの人となり、行動の動機と思想が明らかになっていくという構造の芝居だった。エピローグの場では、観客を陪審員にみたて、カゼリオが己の行動の動機を訴えかける。
極めてシンプルかつ技巧的な枠組みの中で、カゼリオと誰かもう一人という一対一の対話の場面の反復によってドラマの緊張感を維持するというのはかなり大変な作業だと思う。とりわけガゼリオ役はプロローグを除いてずっと舞台に姿をさらし続けることになる。これはかなりのストレスのはずだ。山本健翔は派手な顔の表情の変化と手足の動きで感情表現を誇張することで単調さを回避していたが、若干やり過ぎの感があり、漫画っぽくなってしまっていた。娼婦役のきっかわ佳代はしゃくれ顔ではあるが顔立ちは愛嬌があり、しかもすらりとしたプロポーションが美しい。強調された豊かな胸元も吸引力抜群だった。

カゼリオはミラノの貧しい家庭に生まれ、十二歳からパン職人として働いたが、常に社会の最下層にあった。彼の暗殺の動機の背景には、十九世紀末のブルジョワ階級による過酷な搾取、貧困層の悲惨という現実がある。現在においても世界のいたるところで続く、ありふれた社会構図である。彼は大統領暗殺によってギロチン刑によって処刑されてしまうが、彼の行為は、当時の貧困層の閉塞感、差別感を代弁し、社会悪を糾弾する英雄的行為ととられたようだ。劇中での彼の社会糾弾の言も、恐ろしく全うでぶれがない。娼婦、ユダヤ人の看守(自分がユダヤ人であることを劇の終盤で告白する)など周縁的立場にあった人間が、殺人者であるカゼリオに共感を覚えるのはごく自然のことだ。
ただしこの芝居の作中人物であるカゼリオは、その振舞や言動があまりにも理性的すぎるように思え、いかにもインテリが作り出した、ある意味理想的な「アナーキスト」像のように僕には感じられた。労働者出身の無政府主義者となると、野性的ともいえるような激しい衝動、矛盾や狂気を僕は期待してしまうのだけれども。

青臭いメッセージを持った時代錯誤のプロレタリア演劇とも言えるような内容であるが、移民貧困層による社会不安に脅かされる現代のフランス、そして社会の階層化が近年着実に進む現代の日本にとって、十九世紀末のアナーキスト、カゼリオの主張はいまだ有効性をもっており、この作品によって彼のような存在を呼び戻すことの意義は小さくないように思った。