閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

メディア モノガタリ --親に殺された子供たち--

三条会
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  • 原作:エウリピデス(ギリシャ悲劇「メディア」)
  • 構成・演出:関美能留
  • 照明:佐野一敏
  • 音響:山下真樹
  • 出演:大川潤子、牧野隆二(ク・ナウカ)、中村岳人、橋口久男、柳原毅、立崎真紀子
  • 上演時間:1時間20分
  • 劇場:下北沢 ザ・スズナリ
  • 満足度:☆☆☆☆★
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globe、Judy and Mary, 森高千里戸川純山口百恵といった80年代の女性歌手のポップス、歌謡曲を効果的に使った舞台。こうしたミスマッチな音楽の使用法は、先月見た鈴木忠志演出の『廃車長屋の異人さん』を想起させる。『廃車長屋』では美空ひばりの曲が使用されていて、彼女のライブでの語りの部分が効果的に使われていたが、三条会では山口百恵のコンサートでの語りの部分が使われていた。いずれも曲と歌手が持つコノテーションや歌詞の内容が、劇の内容についてのシニカルな注釈として機能していた。

特異な肉体的動きの強調やたたきつけるような発声法など三条会はそもそも鈴木忠志的な様式と重なるところがかなりある。しかし時に悪趣味にまで逸脱するポップなユーモアの感覚は三条会ならでは魅力である。場面の中で唐突に現れ、不可解ながら強い印象を残す数々の仕掛けに、戸惑いや解釈不能の不安を感じさせつつも、その演劇的創意は新鮮で実に魅力的だ。もし機会があるなら、三条会舞台の中で現れる様々な不可解な仕掛けのひとつひとつについてその意味を演出家に尋ねてみたいものだ。三条会の場合、この不可解さから生じる居心地の悪さ自体がまた作品全体の仕掛けの一つとして重要な役割を果たしているようにも思える。一つ一つのささやかで不可解な行為や演出の総体が、豊饒な言語と工夫された身体表現をもってしても表現しきれらない、人間が抱える得体のしれない不気味さを観客に意識化させている。

舞台装置はきわめてシンプルである。黒い背景のほとんど素舞台とも言える状態で、黒塗りの学習机が六台、客席に向って開くような形でならべられている。椅子のそばには、スタンドのついたスポットライトが一台ずつならべられている。舞台奥、左上にはタイマーの時間が写し出されている。開演前にはそのタイマーは1時間と表示されている。最初にコリントスの女を演じる役者が客席のほうから舞台に上がり、その後まもなく、メディアによる状況の説明がある。メディアはドラマの最初から最後までほぼ出ずっぱりで驚異的な量の台詞を吐き続ける。