閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

モテたい理由:男の受難、女の業

モテたい理由 (講談社現代新書)

モテたい理由 (講談社現代新書)


評価:☆☆☆☆★

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モテない男はモテないがゆえに女のことがわからない。自分が愛されないという事実がかえって愛の対象であるはずの相手の女性についての想像力を働かせることを阻害しているように思える。
実際、モテない男である僕は、好きな女性の内面についてちゃんと想像力を働かせたことはこれまであっただろうか? 見た目の美しさを異常に問題にして、一方的に崇拝しているだけであったように思う。恋愛といっても極めて自律自足的というか、宿命的な片思いであるというか。相手に最優先に求めるのは自分の恋愛幻想を投影できるに足る記号的価値、属性であったように思う。これではモテなくて当たり前だと。
一方的に恋愛対象とした女性に対してさえこんな感じなのだから、それ以外の「普通の女性」の恋愛願望がどんなものであるかについては、これまでほとんど関心を持ったことがなかった。

『モテたい理由』では『JJ』『Frau』などの女性ファッション誌の分析を通し、現代の日本人女性の恋愛幻想が、高度消費社会の中でいかように形成されていったかについて書かれている。経済性最重視の資本主義社会の中で、これらの雑誌媒体を介して形成され、かき立てられる恋愛幻想の身も蓋もない有り様には唖然とする。ファッション誌につきものらしい、人気モデルを主人公としたロールプレイ劇場(「着回し劇場」、「アレンジ劇場」)で提示される物語のファンタジーの陳腐さ、そしてその非現実性は、僕がまったくしらなかった世界だけに、かなり大きな衝撃を受けてしまった。もちろんこれらの物語は読者によって「話半分」で消費されているに違いないと思うのだけれど、こうした物語の奥底にはかなりリアルな願望が投影されていることも間違いない。関係性の中で優位に立つことに神経をすり減らさなくては「モテ」ることはできない。モテるということは女性にとっても本当に大変なことなんだということが想像できる。僕は一般的に日本人女性が持つ恋愛幻想が本当にこの本に紹介されているようなものであるのならば、自分はモテなくて全然かまわないと思った。というかモテるわけがない。最初から絶対無理。

モテない男の多くはおタクに自閉しつつモテない道を進み、モテない女の多くは周囲との関係性に神経をすり減らしつつモテない道を進んでいく。モテない男とモテない女にはどうやら接点はあまりなさそうだ。この本を読むと世の中には本当に恋愛に適性を持っている人というのはごく一部の特権的階級ではないかと思える。