- 作者: 大西暢夫
- 出版社/メーカー: 精神看護出版
- 発売日: 2004/06/01
- メディア: 単行本
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評価:☆☆☆☆
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ダムに沈む村に残る老人たちを撮ったドキュメンタリー映画、『水になった村』の監督、大西暢夫の写真集。文章も彼が書いている。46ページ。精神病院の閉鎖病棟に入院する人たちを撮影している。文章はごく短く、写真のキャプションのような形で添えられているものが大半である。
松尾スズキの映画『クワイエットルームにようこそ』を見たとき、いくぶんの表現的な誇張はあるにせよ、閉鎖精神病棟というのは世間のストレスから隔離されているがゆえにある種のユートピアであるようにも思えた。もっともあの映画では精神病院をむしろアンチ=ユートピアとして提示し、主人公の女性が眺める精神病患者は健常者的感覚からはその苦しみようゆえに気味悪がれ、笑われ、憐れまれる存在として提示されていたのだけれど。
一般には知られざる精神病院の世界をある種の見世物小屋として描写するような定型的な露悪趣味があの映画の奥底にはあるように思った。
『水になった村』を見れば一目瞭然であるが、大西暢夫はこのような意地悪で皮肉な視点とは無縁だ。精神病院閉鎖病棟という極めてデリケートな対象に対して、子供のような無邪気な好奇心で入り込んでいく。このような無邪気さが戦略的なものであるにしても、写真とそれに添えられたテキストにあるひねくれたところのなさ、対象への共感の自然さには恐るべきものがある。この写真集に登場する精神病患者たちの多くは、一般常識的観点から見れば「異常」な振る舞いをしていることは明らかだ。しかし大西暢夫の写真とテキストにはこうした患者たちへの軽蔑や嘲笑はまったく感じることはできない。彼らはこの写真では笑われる存在ではなく、笑う存在なのだ。彼らの多くは平穏で幸せに満ちた(ように見える)笑顔をカメラに向ってむけている。たとえ演技であったとしても、大西暢夫に彼らの存在をそのまま肯定し、受け入れるような安心感がない限り、こうした表情をカメラに収めることはまずできないはずだ。社会とは隔絶された病室の中で長期間過ごす彼らの日常は、実際のところは、彼ら自身にとってもユートピアではありえないかもしれない。しかし大西暢夫はそうした彼らの日常にも存在する平穏な瞬間をしっかりと記録している。彼のパーソナリティ自体がこうした時間を引き出すような資質を持っているのだろう。大西暢夫は生を肯定的的に捉えることに関して卓越した才能の持ち主なのだ。