閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

革命日記

青年団 若手公演
http://www.seinendan.org/jpn/info/info071213.html

  • 作・演出:平田オリザ
  • 美術:杉山至
  • 照明:岩城保
  • 出演:梅津忠、中村真生、佐山和泉、近藤強、桜町元、鄭亜美、長野海、齋藤晴香、小林亮子、酒井和哉、宇田川千珠子、大久保亜美、畑中友仁、福士史麻、木引優子
  • 劇場:小竹向原 アトリエ春風舎
  • 上演時間:90分
  • 満足度:☆☆☆☆
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場所は都内某所のマンションの一室。一見まだ若い夫婦が住むごく平凡な住居なのだが、実はそこは某極左組織の拠点であり、この日、大使館と空港の同時テロ工作の打ち合わせのため、このマンションにセクトの実行部隊、革命家が集まってくるというのが設定である。

作品は1997年にP4*1というプロジェクトによって『Fairy Tale』というタイトルで上演された作品を大幅に改訂したものだという。
生ぬるい平和を倦怠感の中で享受する現代日本で、携帯電話世代の革命家はどうやって日常と理想の折り合いをつけていくのか。弛緩した日常の中で、革命のテンションを維持するのは、まだ貧しさが偏在していた60、70年代の日本で革命意識を維持するよりはるかに困難であるに違いない。ちょっとした心のすき間から、近所付き合いなど日常的な雑事、そして恋愛といった俗事が入り込み、革命意識の高揚の邪魔をする。革命家であり続け、集団を維持するには、徹底的に集団の閉鎖性を高め、思想・行動の上でも先鋭性を高めてく必要があるに違いない。
芝居は革命家集団がかかえる日常と理想の葛藤を巧みに描き出した秀作であった。

こうした革命家集団はまったく架空のものだとは思えない。おそらく日本のどこかには彼らのような過激派集団がまだ数多く潜んでいるはずだ。
僕が大学の学部に入った1987年にはかつての学生運動の残り香がキャンパス内に残っていた。キャンパスにはゲバ文字の立て看が並んでいたし、革マルが学内最大のサークル組織を牛耳っていて、大学から配分されるサークル活動補助費の予算を握っていた。僕が所属していた美術サークルもこのサークル組織の傘下にあり、部室のあった学生会館には運動家の学生が常駐し、時折デモなどに駆り出されたものだ。革マルのほか、民青もあった。大学生協も今よりはるかに左翼色が強かった。統一教会の学生活動(原理研と呼ばれていた)も盛んで、たまに革マルと小競り合いがあったりした。ストライキによる試験妨害も頻繁にあり、僕が学部に所属していた六年間のうち、まともに学年末試験が行われたのは二回もしくは三回だけだった。
僕が学部を卒業する1991、2年頃、ちょうどバブル経済がはじけ日本が不況時代に突入し始めたころに、大学当局が本気になって革マル集団の駆逐活動を行った。それまで革マルがしきり、入場料をとって(!)運営されていた早稲田祭が、当局によって強制的に中止され、革マルの本拠であった学生会館や地下部室が撤去された。立て看板、学内でのチラシ貼りも禁止された。それまでは学内の廊下はチラシだらけだったのだ。何年か革マルは激しく抵抗を試みたが、すでに弱体化していた組織は、大学の攻撃に持ちこたえることはできなかった。
今では学生の大半は革マルなどという組織を知らないに違いない。しかし今でも学内で完全に消滅してしまったわけではなく、ごく少数の戦士が残存し、細々と活動を行っている。その思想的立場や運動の方法についてはともかく一般学生の支持のないまま、反戦・反当局のキャンペーンを行い続ける彼らの精神の強靱さは天晴れなものだと思う。日常を崇高なものへと昇華させようとする彼らの日々は案外充実したものなのかもしれない。

*1:現代演劇の諸相について問題意識を共有する平田オリザ加納幸和、宮城聡、安田雅弘の四人の演出家によってよるグループ(公演ちらしより)