閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

ぜんぶ、フィデルのせい LA FAUTE A FIDEL!

http://www.fidel.jp/

  • 上映時間:99分
  • 製作国:イタリア/フランス
  • 初公開年月:2008/01/19
  • 監督:ジュリー・ガヴラス
  • 製作:シルヴィー・ピアラ
  • 製作総指揮:マチュー・ボンポワン
  • 原作:ソミティッラ・カラマイ
  • 脚本:ジュリー・ガヴラス
  • 撮影:ナタリー・デュラン
  • 音楽:アルマンド・アマール
  • 出演:ニナ・ケルヴェル(アンナ)、ジュリー・ドパルデュー(マリー)、ステファノ・アコルシ(フェルナンド)、バンジャマン・フイエ(フランソワ)
  • 劇場;恵比寿ガーデンシネマ
  • 満足度:☆☆☆☆☆
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地味な印象の作品だったが、思いがけない傑作だった。
今年これまでに僕が見た映画の中ではもっとも好きな作品である。

柴咲コウをもっとくっきりさせたような顔立ちの9歳の女の子が主人公の映画。映画の中では笑顔よりもむっとした顔をしていることが多いがとてもキュートな女の子だ。時代と場所は1970年代はじめのフランスである。キューバのカストロの革命、そしてチリでは左翼政権が選挙によって誕生し、共産主義が時代の中で大きな影響を持っていた一方、フランスの隣国のスペインは独裁者フランコの政権下にあり自由は制限されていた。
フランスでは1968年の五月革命の余波が残り、若い世代の間では左翼運動が支持されていた。この時代、中南米やスペインなどからの左翼政治亡命者をフランスの左翼活動家が積極的に受け入れ、援助したという話は聞いたことがあった。

アンナは弁護士の父親と一流雑誌の編集者の母親のもと、裕福なお嬢様生活を送っていた。しかし時代の流れのなかで社会正義に目覚めた両親は左翼運動に熱中して行き、それまでのブルジョア的生活を捨て、チリからの政治亡命者の支援活動をはじめる。母親はウーマンリブ運動の影響も受け、妊娠中絶の合法化のための闘争にも力を入れる。
庭付きの一戸建てから、狭苦しいアパートへの引越、しかもその家には始終見知らぬ他人が集まってくる。家族で過ごす日曜日はなくなってしまった。まだ幼く無邪気な弟はこの変化を無頓着に受け入れ、楽しんでいるようにさえ思う。しかし九歳のアンナはこの生活の急変に抵抗を示す。彼女は乏しい経験と知識をフル稼働させて彼女の周りの世界の変化を理解しようとする。そしてその世界と折り合いをつけるべく格闘を始めるのだ。
笑顔を見せてなんかいられない。これは九歳の女の子にとって真剣な戦いなのだ。今何が起こっているのか、それが自分にとってどういう意味を持つのか、仏頂面でふんばりながら彼女は彼女の「戦い」を通して少しずつ成長していく。この健気さと可愛らしさに、見ていて胸を締めつけられるような気分を味わう。
格闘の末、最終的には彼女は自分の居場所をまた新たに確保したように見える。彼女は世界と折り合いをつけることに成功した、それは確かに彼女の成長を示すものだが、同時にかすかな苦味を伴っているように僕には思えた。

姉・弟の子役二人の演技、そしてその表情の愛らしさは驚異的に素晴らしい。大人の欺瞞をリアルに暴き出す脚本と九歳の子どもの視点を説得力を持つ表現で提示した演出にも卓越した才能を感じた。

子どもはときにものすごく正しい。小さい子どもを持つ親はとりわけ、子どもに対して模範的に正しく振る舞おうと努力するものだと思うが、子どもに対して常に正しく振る舞まうことができるとは限らない。ときに誤ったふるまいをしてしまうことがある。僕には七歳の娘がいるが、ときおり彼女に僕の言動をたしなめられるとき、彼女のほうが正しいな、と思うときがある。親の権力によりかかって、理不尽な押さえつけ方をしてしまうことはあるのだ。子どもはときにそういった欺瞞にとても敏感に反応する。僕の親は、今の僕よりはるかに大人で親らしい振る舞いをすることができる人たちであった。しかし今思い起こしてみると、彼らでさえ、やはり親権力によって理不尽に僕を押さえつけようとしたことは何度もあったはずだ。そしてたぶん僕はその度に戦い、そしてだんだんとそうした理不尽と折り合いをつけるやり方を身に付けてきたのだ。こうした処世を経験的に知るまでは、子どもはたえず全身で周りの世界と格闘してかなくてはならない。
その成長の格闘の健気さと純粋さをこの作品は想起させてくれる。