閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

正しい座持ちの仕方

ISBN:4828825258
劇作家の別役実のエッセイ、「正しい座持ちの仕方」(井上ひさし編『話しことば大百科』、ベネッセ、1996年、54-58頁)で、「天使が通る」という気まずい沈黙の時間を避けるための便法が紹介されていた。
話題が途切れてしまったときのぎこちない沈黙を恐れる人はこの世に多いはずだ。あまり親しくない間柄での食事や宴会、そしてとりわけその宴会が終わったあとの駅までの道すがら、この沈黙の到来になんとも言えぬ憂鬱な罪悪感を感じることが多い。そしてさらにその共通の話題がない人と同じ路線の電車にその後、しばらく乗らなくてはならないとわかったときの絶望的な気分と言ったら!もちろんこれは相手が悪いわけではない。そして自分が悪いわけでもない。ただとりわけ「大人」になってしまってからは、互いの立場の微妙な違いが自由な会話を疎外するような壁を作ってしまいがちなのだ。

僕は無口なほうでは決してないのだけれど、微妙な距離感を保った上での何気ない会話、とりとめのない話題で座持ちさせるのは苦手なほうだと思う。学生時代が極端に長く、比較的閉鎖的な狭い世界の中でずっと生きてきたせいもあって、未知の他者と向き合う訓練が乏しいのが原因かもしれない。
座持ちがせずに困ったときには、とりあえず「食べ物」関連の話題と「出身地」の話題をふることが僕は多い。とりたててグルメではなくても、おいしい食べ物に関心を持たない人は少ないし、自分が好きではない食べ物についてもとりあえずコメントや質問をすることは可能な場合が多いからだ。「出身地」は初対面の相手について。その出身地について知っているくだらない知識を総動員、ときに「食べ物」の話題とリンクさせて、地方の名産について話を持っていくことも多い。
この「出身地」は、別役実のこのエッセイでは「戸籍調べ」という方法として紹介されている。これは古来から知られている座持ち話題のひとつだとのこと。「お生まれはどちらです?」からはじめて、「新潟です」とくれば、「新潟のどちらへんですか?」などとつなげて話題にふくらみを持たせる。挙動不審な男を尋問する公安の警官のようにしつように相手について聞き出すのがコツだとのこと。こうした質問を受ける立場になった場合は、ところどころあたりさわりない程度の嘘を混ぜるのがコツだと別役は書く。嘘をまぜることにより、一方的な受身の息苦しさから逃れ出ることができ、さらにつじつま合わせのスリルも味わうなど創造的に会話に関与できるようになるから、というのがその理由である。

一般的には座持ちの時間については、「時事ネタ十分、女は五分、趣味で三分、お天気二分、戸籍調べはとどめがない」とのこと。なるほど、といった感じである。ただ僕の場合は相手が相応に「好きもの」であった場合は、女性ネタがもっとも盛り上がることが多いのだけれども。
別役実がもうひとつ進めている座持ち方法は、「腹痛」である。中年以上限定だが、腹の辺りを押さえてうめいてみせればよい、というもの。そうすると相手はほぼ確実に「どうしたんですか?」と聞いてくる。これをきっかけに話題を膨らませるのだ。腹痛に限らず、「病気」ネタは、癌とか心筋梗塞のようなヘビーなネタには聞くほうがひるんでしまうところがあるけれど、特に中高年の間ではスタンダードな話題のひとつであるように思う。僕も自分が大病にかかったときはその病気のことを人によく話した。病気で体調が悪いときには、なんかその話を話さないとかえって不安で落ち込んでしまうような気がしていたからだ。聞き役となった人には申し訳ないと思う。回復した今となっては逆に病気のことが話題になると当時のことを思い出して気が重くなる。

「悪口」は、こうした座持ちの話題としては格好のものなのだけど、これはもちろん思わぬ悪結果を自らにもたらすことも多いので注意が必要であることはいうまでもない。僕はもともと毒舌家のほうである上、ある種の「サービス精神」もあって、宴会などの席ではとりわけこの毒舌をエスカレートさせてしまうことが少なくない。井上ひさし編纂のこのエッセイ集には、向田邦子の「言葉は恐ろしい」というタイトルのエッセイも収録されていて、彼女の毒舌ゆえの失敗談が語られている。もっともエッセイとして公表できるくらいなのだから、失敗談のなかでもごく無難なものを2,3紹介しているに過ぎないはずで、相手に致命傷を与えるほどのひどい悪口の経験は他にあるに違いない。ことばのプロである作家はやはり悪口、誹謗中傷のレベルも桁外れに高いように思う。このエッセイ集の編纂者である井上ひさしについては、彼の前妻がそのDVぶりを著作で暴露していたが、そこで描かれているひさしの身体的暴力より彼のことばの暴力ぶりは非常に鮮烈であり、その憎悪のことばのするどさに「さすが井上ひさしだけあって、悪口の毒も強烈だなぁ」と感心したものだ。