閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

眠り歌舞伎

http://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/2008/08/post_29-ProgramAndCast.html
八月納涼大歌舞伎
第二部

  • 大江山酒呑童子(おおえやましゅてんどうじ)1963年
    • 作:萩原雪夫
    • 振付:二世藤間勘祖、藤間勘十郎
    • 作曲:杵屋六左衛門
    • 美術:串田和美
    • 照明:齋藤茂男
    • 出演:勘三郎、福助、七之助、松也、勘太郎、橋之助扇雀
    • 評価:☆☆☆★

第三部

歌舞伎座野田秀樹作の新作『愛陀姫』ほかを見る。
第二部と第三部のチケットを購入していたのだけれど、第二部の開演時間を勘違いしていて、「つばくろは帰る」は観ることができなかった。串田和美が美術を担当している舞踊劇「大江山酒呑童子」は観ることができたが席に座ったとたん睡魔に襲われる。歌舞伎座三階B席には催眠ガスが漂っていたようだ。
それでもぼんやりしながら、最後まで到達。勘三郎の踊りはたったかったたか派手に飛び跳ねるので覚醒効果があるけれど、いわゆる日本舞踊っぽい踊りは意味をとらえることができない長唄のことばとともにさらさらとめりはりなく流れていってしまい、見所がよくわからない。
最後の最後にちょっとしたサプライズがあった。そこだけよかったなぁ。

第三部は友人二人と見る。まず「紅葉狩」。松羽物二連発。紅葉をバックにいろとりどりの着物をきた女方の動きは優雅で美しいけれど、あまりにゆったりとした展開のテンポに沈没しそうになる。

今夜のメインディッシュはもちろん野田秀樹の「愛陀姫」。ベルディのオペラは有名な《凱旋行進曲》の旋律を聴いたことがあるぐらいで、未見、未聴。Wikipediaで概要は確認しておいた。
舞台を戦国時代、斎藤道三支配の美濃の国に移しているけれど、話の展開自体は原作をほぼ踏襲していた。筋書きにあった野田秀樹の文章での「愛陀姫は人生のアマチュアだ」という表現を目にしていたせいもあるだろうが、恋と故国への義理のはざまで不器用に苦しむ愛陀の純粋さに焦点が置かれていたように思えた。七之助の愛陀は野田のことばを裏付けるように、愛陀のガラスや水晶の結晶のように美しく、透明で、そしてもろい。魅力的な人物造形だった。そして強烈に意志的な人物でありながら(愛陀に比べるとはるかに「人生のプロ」であるともいえる)、恋心にさんざん振り回された挙句、結局は「運命」に導かれてしまう濃姫は、愛陀とみごとな対比をなしていて、ドラマをよりダイナミックにしていた。オリジナルを見ていないが、野田版では濃姫はおそらく原典のアムネリスよりはるかに魅力的な人物になっているのではないかと思う。

野田歌舞伎の前二作にあるような活動的性格やギャグは抑制され、中心となる人物の葛藤を戦国の世の時代背景にからめて、丁寧に感動的に描いた正統的な芝居であるように思った。ラストシーンの演出がとりわけ印象的だった。
ヴェルディのオペラの原作の持っていたドラマの豊かさを再認識させるような舞台ではあったが、新しい歌舞伎としての独創性やインパクトという点では、野田歌舞伎の前2作より後退しているように僕は思った。ものすごくよくできた翻案だとは思ったけれど、野田秀樹作品だけにもう一歩踏み込んだ革新性を期待してしまう。ドラマとして面白いし、完成度が高い。でも『ドラマとしてきっちりと作られているぶん、歌舞伎ならではの雰囲気って何だろう、という問いかけも生じてしまう。
全般的には満足度の高い芝居ではあった。