閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

オセロー

http://festival-tokyo.jp/program/othello/index.html

  • 演出:李 潤澤 LEE Youn-Taek
  • 作曲・音楽監督:元 一 WON Il
  • 企画原案:宮城聰 Satoshi Miyagi
  • 原作:ウィリアム・シェイクスピア William Shakespeare
  • 謡曲台本:平川祐弘 Sukehiro Hirakawa
  • 間狂言翻訳:小田島雄志 Yushi Odashima
  • 台本韓訳:木村典子Noriko Kimura
  • 能楽指導:中所宣夫 Nobuo Nakasho
  • 照明:趙 仁坤 CHO In-Kon、大迫浩二
  • 音響:水村 良 Ryo Mizumura (AZTEC)
  • 衣装:金 美淑 KIM Mi-Sook
  • 振付:金 南振 KIM Nam Jin
  • 出演:美加理 、阿部一徳 、大高浩一 、吉植荘一郎、野原有未、片岡佐知子、関根淳子、桜内結う、杉山夏美(以上、ク・ナウカ シアターカンパニー);金 美淑 KIM Mi-Sook、李 承憲 LEE Seung-Heon (演戲団コリペ Street Theatre Troupe)
  • 生演奏:鬼太鼓座、元 一 WON Il、加藤訓子 Kuniko Kato、朴 順雅 PAK Sun A
  • 上演時間:90分
  • 劇場:池袋 東京芸術劇場 中ホール
  • 評価:☆☆☆☆★
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ク・ナウカと韓国の演戯団コリペによる日韓合作の舞台。圧巻だった。美しさと力強さ、そして遊戯的・祝祭的雰囲気に満ちた舞台に陶酔した。
鬼太鼓座と韓国の伝統音楽、マリンバ、打楽器による民族音楽風現代音楽のアンサンブルが充実した音空間を作り出す。特に韓国のあの絶叫から母音でのこぶしを延々と続ける唱法が印象的だった。音楽劇、ある種のオペラと言ってもよいくらい音楽が豊穰で存在感があった。日韓の役者たちの技芸が素晴らしい。あの発声、あの動き、様式的な美しさに満ちた彼らの演技のボリューム感には、訓練によって身に付けられたプロの技芸の凄みを感じ、その卓越した技芸によって紡ぎ出される力強いドラマを堪能する。

テクストは2005年に上演されたク・ナウカ版が元になっているが、イ・ユンテク版のほうが音楽面がより充実し、華やかさが増しているように思う。会場が大きいことも影響していると思うが、スケール・アップした感じだ。僕は今回のバージョンのほうが好きだ。ク・ナウカによる初演も、夢幻能形式を導入することでデズデモーナから見た『オセロー』の物語という着想は非常に興味深いし、十分に楽しんで見ることはできたのだが、その上演は実験作的な雰囲気が濃厚で、美加理の魅力に寄りかかりすぎていまひとつバランスが悪いように思えたのだ。

この既に相当ユニークで、表現の方向性が定められているように思えるテクストの上演を引き受け、もともと異色で実験的な舞台を、オリジナルの特性を生かしつつさらに混とんとした様式に変容させてしまうのだから演出家のイ・ユンテクの演出力は相当なものだと思う。
舞台美術は巨大な布が上方から何枚か垂れ下がっているというシンプルなものだったのだけれど、その図柄、大きさ、配置がとてもいい。広い舞台がスカスカに感じられない。歌舞伎での浅葱幕の振り落としを想起させる、デズデモーナ殺害のクライマックスでの幕落としも実に効果的に決まっていた。序幕の音楽の重なって行く場面とか、オセローとイヤーゴの「風呂場」の場面とか、そして大団円の明朗な祝祭群舞とか、きれいで強い印象を残す場面がほかにも沢山ある舞台だった。

宮城版の台本に加えられた重要な変更点は、舞台を古代アジアの島に置き換えられているところである。原テキストのサイプラス島(キプロス)は日本に、ベニスは朝鮮半島に移されている。デズデモーナは半島出身の女性で異国である日本に嫁いできたという設定が劇中で明示される。半島から日本にやってきた巡礼者が、巫女たちからこの島で起こった男女の悲劇の物語を聞くという趣向は宮城版から受け継いだものだけれど、黒人のオセローは沖縄を連想させる南方の島の出身とされる。エンディングで使われた音楽は済州島の民謡をベースにしたものだそうだが、そうなるとデズデモーナはもしかすると韓国の辺境にあたる済州島出身であるのかもしれない。異国の出身者同士、それも周縁の地域の出身者が出会い、情熱的な愛が生れるものの、ちょっとした誤解によってその愛は激しい憎悪へと変貌を遂げ、悲劇となる。

『オセロー』で描かれる愛憎の悲劇に必ずしも良好とはいえない日韓関係を重ねたと演出家はアフタートークで語っていた。このような意図的な政治性・社会性の付与はときに作品の世界を矮小化・浅薄化してしまう危険性もある。しかし今回の『オセロー』におけるこの重ね合わせには、政治的イデオロギーではなく、日韓の協同作業のなかで一つの作品を作り上げて行った演出家の願い、祈りがこめられているような気がした。

ネットやマスコミの報道では、韓国側からの反日、日本側からの嫌韓といった面ばかりがグロテスクなやりかたで強調されているように思えるのだけれど、演劇という分野でこのように実り豊かな共同制作が行なわれていることをもっと多くの人に知って欲しいと僕は思う。この『オセロー』は優れた芸術作品の創造が、異文化対立のなかで豊穰な成果を生み出す弁証法となりうることを示す、きわめて現代的な祝祭オペラである。