閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

タロットカードによる十二のモノローグ

シリーズ・同時代【海外編』スペシャルイベント リーディング公演

  • 企画:フランソワーズ・トロンペット
  • 作:ミシェル・アザマ、シルヴァン・ルヴェ、ナタリー・パパン、ジャン=イヴ・ピック、フランソワーズ・ピレ
  • 訳:佐藤康
  • 演出:鵜山仁
  • 出演:新国立劇場演劇研修所 第4期生(田島真弓、土井真波、安藤大悟、原一登、斎藤麻理絵他)
  • 劇場:初台 新国立劇場 小劇場
  • 上演時間:90分
  • 評価:☆☆☆
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かなり特殊な上演形態であることがチラシなどで予告されていて楽しみにしていた公演だった。
パフォーマンスの場が小劇場舞台、劇場ロビー、劇場クロークの三カ所に分かれている。この三つの舞台で、同時に、別の作家が書いた同じ主題に基づくモノローグ劇が演じられる。観客はあらかじめくじをひき、そのくじで指定された舞台しかみることができない。四幕構成で第一幕の共通テーマは「旅立ち」、第二幕が「喪失」、第三幕が「出会い」、第四幕が「届かぬ星」。各幕で3つのモノローグ劇が上演されるので、合計で12のモノローグ劇が上演されることになる。しかし一人の観客が一度の公演で見ることができるのはこのうち4つだけである。各モノローグ劇の長さは20分ほど。観客はまた各幕ごとに、くじの指定にしたがってA、B、Cの三つの舞台を移動しなくてはならない。
各幕のモノローグ劇は、「戦車」、「教皇」、「月」などタロットカードの図柄が示すメッセージに従ってさらに主題が暗示されていたが、各幕ごとのエピソードにはつながりはなく、マルチエンディングのゲーム小説のようなつくりにはなっていなかった。各幕の連関のさせかたは観客にあえて委ねられているとも言える。

原題は「道化の120の旅」Les 120 voyage du fouで、劇の数は各幕5編で合計で二十編、観客の移動パターンは120通りの組み合わせだった。マルセイユ近郊の町で街頭劇として上演されたという。今回の新国立劇場版はその縮小版ということになる。
くじの指示に従い、集団でぞろぞろと移動しながら、予測不可能な展開の舞台をめぐるというのは、思いがけないハプニング的展開も期待させ、観客をわくわくさせる趣向だ。これが街頭劇という規模で、町中を巡りながら行われるとなるとイベント性はさらに増大し、楽しみも増すだろう。
僕が第一幕で観劇することになった安藤大悟による「ジェレミー」(ジャン=イヴ・ピック作)では、小劇場客席からB会場であるロビーに移動させらた観客がさらに、用意された座席に腰を落ち着けることを許されず、「旅行ガイド」を自称する役者の誘導に従ってロビー周辺を右往左往させられるという趣向になっていた。これはとても面白い体験で、残りの幕への期待も高まった。しかし残りの幕は生硬で観念的な、いかにもモノローグ劇らしいひとりよがりな表現が続き、若い役者の熱演にも関わらず僕は退屈してしまった。
この手の上演形態であるだけに、観客の想像力を遊ばせる自由さとゆるやかさはあったほうが効果的なのだろうけれども、今回は各幕のつながりがあまりに緩やかすぎて、僕の受容力では、それらを自分のなかで各幕を総合して表現として楽しむことはできなかった。各幕の中身は詩的な表現をちりばめた文学的なものであるよりも、もっとわかりやすいパントマイム的表現を活用したものであったほうがよかったように僕は思った。

各幕での研修生である役者の熱演には好感を持つ。至近距離にいる観客たちの視線を感じつつ、己一人の言葉と身体だけで観客の関心を引き続けなくてはならないのだから(しかも自分の生理的感覚とはかなり距離を持つ言語・身体表現を用いて)、今回の舞台は若い役者たちにとってはものすごく貴重な舞台経験となったに違いない。