閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

ぐり、ぐりっと、

桃園会 第38回公演
http://www.toenkai.com/index.htm

  • 作・監修:深津篤史
  • 演出:はせひろいち(劇団ジャブジャブサーキット)「ぐり、ぐりっと、」「月灯の瞬き」
  • 演出:キタモトマサヤ(遊劇体)「カラカラ」
  • 美術:池田ともゆき
  • 照明:西岡奈美
  • 音響:大西博樹
  • 出演:はたもとようこ、亀岡寿行、紀伊川淳、森川万里、橋本健司、長谷川一馬、川井直美、寺本多得子、山本まつ理、出之口綾華、大熊ねこ、大本淳、金替康博
  • 上演時間:約二時間
  • 劇場:下北沢 ザ・スズナリ
  • 評価:☆☆☆☆
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劇団主宰の深津篤史作の三篇の戯曲の上演だった。各作品とも40分ほどの長さ。観劇自粛期間中なので見に行くかどうか迷ったのだけれど、見に行ってよかった。独特の叙情性、幻想性を持つ桃園会の世界に浸る。桃園会の舞台は、心をざわつかせどこか不安に陥れるような不気味さがある一方で、しっとりとした詩情で深く心地よい余韻ももたらしてくれる。

深津篤史は昨年秋に入院し、まだ完全に復調していないようだ。もともとは新作三本立ての予定だったそうだが、新作は「ぐり、ぐりっと、」の一本のみ。残りの二本は七年前に書かれた「月灯の瞬き」、一四年前に書かれた「カラカラ」。演出にも深津は参加せず、彼と関わりの深い関西の劇団、遊劇体のキタモトマサヤが「カラカラ」を、劇団ジャブジャブサーキットのはせひろいちが「ぐり、ぐりっと、」と「月灯の瞬き」の二本の演出を担当した。

最初は新作の「ぐり、ぐりっと、」。幻想的でとらえどころのない作品である。「私」が神と出会う。その神はヤマダの神だと言う。誰もが自分の神を持っているらしい。しかし「私」には自分の神が見えない。ヤマダとヤマダの飼っていた猫が登場する。神の代わりに猫を伴って、「私」は港町を彷徨する。ヤマダの恋人の女性とその神も現れる。
夢の世界なのか、黄泉の国なのか。船の汽笛が時折きこえ港町であることは暗示されているが、「私」がどこにいるのかは定かではない。不気味でかつユーモラスな作品だ。「私」を演じた橋本健司のユニークな個性が生きていた。汽笛などの効果音の使い方も印象的だ。

効果音の使い方は次に上演された「月灯の瞬き」でも印象的だった。おけら(?)の声、洗濯機の音などの環境音がこの作品では効果的に使われていた。また小道具としてのタバコの使い方もよかった。滞留するタバコの煙が照明で照らされている絵が、作品世界の倦怠感を象徴していた。
「月灯の瞬き」は三篇のなかでは一番わかりやすい作品だ。とある家のダイニングが舞台。細長いダイニングテーブルが中央に置かれている。深夜、パーティの二次会のあとのような雰囲気。バーのマスターの自宅らしい。客の大半はもう帰ったあと。バーのマスターには内縁の妻がいるが、彼女は奥で片付けなどをしている。バーの常連だった若い女性がマスターと話をしている。この女性はマスターに恋心を抱いている。マスターもまんざらではない。もう一人、若い男が酔いつぶれて、テーブルにふせって寝ている。この男は女に惚れているらしい。若い女、若い男、マスター、マスターの内縁の妻の四者の心理関係の揺らぎが丁寧に書かれたダイアローグによって表現されている。若い女性を演じたの出之口綾華が見た目、芝居ともに非常にいい。色っぽくて、ちょっと疲れた感じがあって。

「カラカラ」は一五年前、阪神淡路大震災の直後に初演された作品だと言う。学校の体育館らしい避難所が舞台。今回の演出では「震災直後の被災地」という時間と場所の規定を取り去ることから作品を作り始めたと、演出家がプログラムに記していた。三島由紀夫の『弱法師』の最後で語られるような終末的な光景が舞台の外に広がっているような気がした。ラジオと窓からの風景、時折訪れる見舞客からの情報によって、避難所の住民たちは外の世界を想像し、怯え、閉じこもっていく。震災直後に被災地の人々がこの芝居を見ると、どんな感想をもっただろうか。痛々しく重苦しい芝居だった。