閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

インコは黒猫を探す (ポストパフォーマンスダンス『ビオレリヨ』)

快快
http://faifai.tv/faifai-web/

  • 作:篠田千明
  • 演出・振付:野上絹代
  • 舞台監督:佐藤恵
  • 美術:佐々木文美
  • 照明:富山貴之
  • 音響:星野大輔
  • 衣裳:藤谷香子
  • テキスタイルデザイン:大道寺梨乃
  • 演出補佐:北川陽子
  • 宣伝美術:天野史朗
  • キャラクターデザイン:しんぽうなおこ
  • 写真:加藤和也
  • 出演:中林舞、山崎皓司、板橋駿谷、黒木絵美花、菅原直樹、墨井鯨子(乞局)、竹田靖、千田英史(Rotten Romance)、師岡広明
  • 上演時間:70分(+20分)
  • 劇場:三軒茶屋 シアタートラム
  • 評価:☆☆☆☆★
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おまけパフォーマンスとして15分ほどの「ボレロ」の音楽とともに展開する群舞『ビオレリヨ』も華やかなフィナーレとして堪能した。観劇の幸せを噛みしめる。

劇場帰りの地下鉄の中で快快@シアタートラムの余韻にぼおっと浸る。快快は私にとってはセンチメンタルなノスタルジーの演劇だ。

快快はポップで可愛くて洒落ている。そして気さくだ。ただそのフレンドリーな雰囲気が中年男の私にはちょっとまぶしすぎる。いくらニコニコ笑顔で迎えられても若く溌剌とした彼女たち、彼らとお友達になんてなれっこないのだから。だから快快の表現には惹かれつつもちょっと苦手意識も感じていたのだ。

「インコは黒猫を探す」は大田区にあるとあるアパートの一室が舞台だ。そこに一人で住むごーくんと彼のアパートを訪問する二人の友人、やっさんとゆりさん、そしてごーくんが飼っている二羽のインコの三年の間隔を挟んだ二つの夜のエピソード。三年前の三人と二羽、ついこないだの三人と二羽の夜の情景が重なり合いながら描き出される。役者の肉体芸によるギャグ、コミカルでダイナミックなダンスなどの場面は挿入されるが、ことばによって紡ぎ出される心理の描写はとても繊細で甘美だ。青春時代のただ中にあり、そしてもしかするとその青春時代からの離脱を感じつつある彼らの世界は、狭くて陳腐なものであるかもしれない。しかしルーズさと甘ったるさ、優しさに満ちたあの日常でこそ、日々の営みそのものが詩的であり、ドラマティックでありえた。

私は快快の芝居に強いノスタルジーを感じるのは、彼らが作り出す世界が若い日々が持つ特権的な時間(そして今の自分が決して取り戻すことのできない)の輝きを、ダンスという身体表現を叙情的で繊細な物語に取り込む独創的なやり方で、鮮やかに具現しているからだ。彼らのダイナミックでユーモラスな身体表現は、必然的に終わってしまう青春の儚い時間を、何とか引き延ばし、拡大しようと健気にもがいているようにも私には見える。儚く脆い若い日日が夢の如く展開する。結晶のような、胸を締めつけるような切ない美しさに満ちた舞台だった。

客席は通路まで埋まる大盛況だった。若い観客が多かったが、中年観客もかなりいた。笑い声が絶えない舞台であり、私は最初はちょっと頑なにその笑いの仕掛けのなかに取り込まれてしまうことを拒否していたような感じだったのだけれど、すぐになし崩しに劇中世界に引き込まれてしまった。数々のギャグのなかでも歌劇《カルメン》の序曲にあわせて夜のスーパーに買い物に行く場面を集団舞踊で表現したパートは秀逸だった。観客へのサービス精神が旺盛な軽喜劇、レビュー的な軽やかでスマートな娯楽性が印象的な作品でもあった。私もよく笑った。しかし同時に私は舞台上で描き出される時間の儚さゆえに、猛烈に切ない気分に襲われ、ちょっと泣きそうにもなったのだった。意味不明で戸惑いを感じていた冒頭の場面、人間が演じる数羽の小鳥たちが暗い舞台上でぴーちくぴーちくさえずりながら動き回る場面が、劇の最後になって再び思い浮かぶ。そしてその不可思議な冒頭場面の意味が妙にすんなり腑に落ちたような気がしてきた。