閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

中島敦殺人事件

中島敦殺人事件

中島敦殺人事件

『美人作家は二度死ぬ』に続いて、女子大大学院で国文学を専攻する菊池涼子が登場する。前作同様、日本近代文学史上の作家を巡る研究動向、蘊蓄を背景に、若い女性が恋愛経験を経て成長していく姿を描く。本編では「山月記」の中島敦の文学史上における高い評価に著者は疑問を投げかける。中島敦の代表作にはいずれも元ネタとなる典拠があるそうだ。とりわけ芥川賞候補になった「光と風と夢」はスティーブンソンの『ヴァイリマ・レターズ』を切り貼りして翻訳したに過ぎない作品ではないか、という問題提起が、著者の分身的存在である登場人物、藤村敦によって作中で行われる。

中島敦の文学史上の評価が過大なものであるかどうかは私には判断できるだけの知識がない。私が読んだことがあるのは高校時代の国語の教科書に掲載されていた「山月記」のみだ。いかめしく並ぶ漢語のリズムのよさがやけにかっこよく思え、「我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった」の部分はノートに書き取った記憶がある。「光と風と夢」という小説の存在は、『中島敦殺人事件』を読んで初めて知った。

アカデミズムの世界のリアルな描写、そして作品中で言及される文学史的な問題は「菊池涼子」シリーズの世界の背景となる部分で、こうしたトピックに関する著者の豊富な知識が開陳されるのがこの小説の面白さであるのだけれど、展開の軸となる菊池涼子というヒロインの青春恋愛小説としてもとてもよくできていると思う。彼女の人物像はリアルであるけれども、著者の、あるいは文系青年一般の願望が凝縮、投影されたような理想的・空想的な「若い娘」でもある。素直な好奇心でもって、立ち現れた問題や出来事に一つ一つ誠実に向き合いながら、着実に彼女は成長していく。

前作の『美人作家は二度死ぬ』ほど私が今作を気に入らなかったのは、ヒロインの恋の相手である東大比較文学出身の男性があまりにも露骨に著者と重なるからだった。若い頃もてない生活に苦悩していた著者が、小説の世界で理想の女性と結ばれることによって若かりし頃の願望を叶える、というのは別にかまわないと思う。しかし東大出身者がこういう女性との恋を成就する、というのは何か不愉快で面白くない。女にもてる男ってだけで共感しにくいし、それが東大出身となるとなおさらだ。

小説のなかでは男の散らかった部屋を掃除することが、二人の距離を縮めるきっかけとなる。最初に女性を家に呼ぶときには敢えて部屋を散らかしたままにするのだ、という「技」を教えてくれた知人がいた。実際にけっこう使われているやり方なのかもしれない。私がやってもまずうまくいかないと思うが。


「天皇の煙草」という短編が併録されている。懐かしい。中学・高校時代に夢中になって読んだ筒井康隆風の「俺」の一人称小説を連想する。筒井康隆にもそういえば「最後の喫煙者」という短編があった。途中から加速度がついて過激でスラップスティックな狂気の世界へ突入する。「恩賜のタバコ」を使い禁煙ファシズムの世相を風刺している。この短編は天皇が出てくるため掲載を拒否されたとのこと。筒井康隆が六〇年代、七〇年代に書いた作品にはもっと危ないネタのものがあったように思うけれど(『スタア』には確か昭和天皇が出てきたはず)、今はその頃より表現が不自由になっているのだろうか。