- 作:マリー・ミショー/ロベール・ルパージュ Marie Michaud/Robert Lepage
- 演出:ロベール・ルパージュ Robert Lepage
- 字幕翻訳:松岡和子
- 美術:ミシェル・ゴティエ Michel Gauthier
- 小道具:ジャンヌ・ラピエール Jeanne Lapierre
- 音響:ジャン=セバスチャン・コーテ Jean-Sébastien Côté
- 照明:ルイ=グザヴィエ・ガノンン=レブラン Louix-Xavier Gagnon-Lebrun
- 衣裳:フランソワ・サントゥバン François St-Aubin
- 映像:デヴィッド・ルクレール David Leclerc
- 振付:タイ・ウェイ・フォー
- 出演:マリー・ミショー Marie Michaud、アンリ・シャッセ Henri Chasse、タイ・ウェイ・フォー Tai Wei Foo
- 製作:エクス・マキナ(Ex Machina)
- 上演時間:1時間45分
- 劇場:池袋 東京芸術劇場中ホール
- 評価:☆☆☆☆
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フランス語圏カナダ出身の演出家ルパージュの舞台。非常に洗練された視覚表現を作り出す演出家だ。以前安い席で彼の舞台を見たとき死角が多い上に、美術の仕掛けが丸見えで興ざめしたことがあった。それで今回は6500円の高いほうの席を購入した。半月ほど前に購入したときは席はがらがらだったのに、今日は2階席も含め8割がた埋まっていた。仏語圏人の姿がけっこうあったし、おそらく招待券をかなりの数ばらまいたのではないだろうか。
中国上海が舞台。上海に流れ着いたような感じのさえない中年ケベック人男性、養子を求め中国にやってきたアル中の中年ケベック人女性。この二人は学生時代、「結婚」していたらしい。ケベック人男性の上海での若い芸術家の恋人。この三人の登場人物だけで物語は展開する。タイトルやチラシの記述からストーリー性の乏しい象徴的、詩的なパフォーマンスみたいなものかと思っていたら、物語のあるごく普通の芝居だった。
映像の効果的な使用、上下二分割され自在に変化する美術などスペクタクルの創意はこの作品でも極めて印象的だ。三人の人物しか登場しないが脚本の構成の巧さゆえスカスカな感じがしない。でも物語はネオ『蝶々夫人』。結末を複数用意するという洒落たひねりはあったが、全体としては伝統的な「オリエンタリズム」の物語の枠組みのなかにある。西洋人のなかにあるこの東洋幻想の根強さに嘆息。ああ、ルパージュ、お前もか。その期待に応え続ける我々日本人、アジア人の従順さにも。
パンフレットで翻訳を担当した松岡和子が「蝶々夫人」の系譜に触れつつもこの作品を絶賛していたが、本気でそう思っているのかなと私は疑問を持った。シェイクスピア翻訳であれほどジェンダーの問題にこだわっているのに。
多彩で変化に富んだ視覚表現は実に美しく、幻影ぽくて見ているだけで楽しいものではあったけれど、6500円支払うことはなかったかなという気がする。仏語圏観客は大喝采。一般にフランス人の舞台への賞賛は日本人と比べると熱烈、執拗ではあるが、その反応には社交的な振る舞いの度合いも高いように思う。とりわけ日本にこの手のフランス語圏の大物がやってくると、おそらく招待されてやってきたに違いないフランス語圏観客はここぞとばかりに愛国精神を発揮する(ような気がする)。私は白けた気分。