- 作:三好十郎
- 演出:長塚圭史
- 美術:二村周作
- 照明:小川幾雄
- 音響:加藤温
- 衣裳:伊賀大介
- 出演:田中哲司、藤谷美紀、佐藤直子、大森南朋、安藤聖、峯村リエ、江口のりこ、遠山悠介、長塚圭史、中村ゆり、山本剛史、深貝大輔
- 劇場:吉祥寺シアター
- 上演時間:4時間
- 評価:☆☆☆☆★
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長塚圭史の新ユニット、葛河思潮社の第一回公演、三好十郎作『浮標(ブイ)』を吉祥寺シアターに観に行った。この作品は昨年夏に大阪の精華小劇場で桃園会による上演を見ている。役者の芝居には粗いところがあったが、戯曲に正面から取り組みその魅力をていねいに引き出した誠実さを感じさせるいい公演だった。
今回の葛河思潮社版『浮標』はもともとは観に行く予定ではなかった。上演時間が長大(今回は休憩を二回を入れて四時間)な上、演出家長塚圭史にいまひとつ魅力を感じなかったからだ。私は長塚演出作品はマーティン・マクドナーの作品一作しか見てないのだけれど、その上演が大竹しのぶ、白石加世子、田中哲司といったキャストでマクドナーの作品を上演しているわりには平凡な出来で期待外れだったのだ。その後、柳美里による長塚圭史の芝居に対する罵倒を目にしたりして、何となく私とは縁のない演出家・劇作家なんだろうなと思っていた。
ところが先月神奈川ではじまったこの公演の評判がtwitter上であまりにもいいので、思わず東京公演のチケットを予約してしまったのだった。東京公演は吉祥寺シアターという小さめの小屋とはいえチケットの売れ行きはよくて、私が予約した時点(一月下旬)では通常の座席は満席、劇団扱いのバルコニー席がいくつか残っていただけだった。
評判通りの素晴らしい舞台だった。奇をてらわずに三好十郎の厚みのある台詞の重なりを真正面から受けとめた演出だった。結核で死にゆく妻と彼女を支える夫を巡る単純すぎるぐらい単純な愛と死の物語り。衰弱していく妻の数週間をそのまま舞台に乗せる。自分の分身ともいえる妻の死に直面する夫の激しい葛藤と苦悩を通して「生きる」ということへの素朴で真摯な問いかけが始終なされる。
定型的すぎるぐらいべたべたで単純な物語なのであるが、この夫婦をめぐる人たちとこの夫婦の間で交わされるディアローグは息苦しいほど濃厚である。この極めて密度の高い台詞劇を長塚圭史はストイックで象徴的な演出によって、作品の持つ普遍性をわれわれの現代劇として提示することに成功していた。
舞台美術が印象的だ。黒い板張りの廊下に囲まれた砂浜が舞台となっている。長方形の板張り廊下が額縁のように砂浜を囲む。舞台中央にもられた白砂の変化が劇の展開と人物の心理の優れた表象になっている。照明の効果も素晴らしかった。演技をしていない役者たちは舞台横の椅子に座ってしばし舞台上の展開を冷たい目で眺めている。物語の中心となる夫婦が芝居の最後でどのような結末を迎えるかは、たとえこの作品を知らない人であっても明らかだ。白砂の舞台で演技する二人はあたかも定められた運命を繰り返すことを強いられる人形のようだ。出番のない役者たちは舞台を眺めていたと思うと、舞台脇に消えて、舞台横の椅子が無人になることもある。眺めている時間と無人になっている時間はそれぞれ舞台上の展開と関わりを持っているのである。
主役の田中哲司はほぼでずっぱりで四時間の舞台で膨大な台詞を話さなくてはならない。全力で三好十郎の豊穣すぎることばを御していることが伝わってくる熱演だった。その熱演ぶりだけでも感動してしまう。美しい女優がそろっていた。主人公の妻を演じた藤谷美紀もいいが、海水浴を楽しむちょっと奔放で自由な娘を演じた中村ゆりの美しさがとりわけ印象的だった。美人でかつエロチック。