閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

ダイダラザウルス

桃園会
桃園会WEBサイト

  • 作・演出:深津篤史
  • 舞台美術:池田ともゆき
  • 舞台監督:沢渡健太郎
  • 音響効果:大西博樹 
  • 照明効果:西岡奈美
  • 出演:亀岡寿行 はたもとようこ 森川万里 橋本健司 長谷川一馬 川井直美 寺本多得子 出之口綾華/三田村啓示(空の驛舎)
  • 劇場:下北沢 ザ・スズナリ
  • 評価:☆☆☆☆★
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ダイダラザウルスは大阪の万博公園にあったジェットコースターの名前だという。数年前に撤去されて現在はない。

凄い作品だと思った。ディアローグが徹底的に解体され、ほとんどつぶやきといってもいいような断片的なことばが舞台上の人物のあいだで交換される。会話がかみ合っていないようには感じられない。そこで交わされることばの連鎖のロジックは客席でそれを耳にしている私にはほとんど不可解なものだった。
舞台は黒一色でひな壇状になっている。照明も始終暗めである。人物や場所はあたかも眠っているときに見る夢のごとくつぎつぎと変転していく。この変転のなかで唯一安定した存在である男1に観客である私はついていくしかない。この男1もまた変容し続ける世界の混沌のなかで途方にくれているようだ。男1には猫が寄り添っている。しかしこの猫は気まぐれすぎてあてにならない。

暗闇のなかでときおり示されるキーワードを頼りに、観客はこの男とともに脈絡のない夢の世界を彷徨する。散りばめられたことばの断片を頼りに手探りで進んで行く旅を粘り強く続けていくと、この極端なカオスの向こう側に懐かしく美しいイメージが浮かび上がってくる。この作品を通して私は男1とともに長い長い旅に出かけ、暗闇の混沌を超えたはるか遠くにある懐かしく崇高な世界へと行き着いた。

数日前に参加した桃園会主宰、深津篤史氏のワークショップで、この作品のモチーフの一つとして宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』があることを聞いていた。『銀河鉄道の夜』の一部が作品のなかで引用されている。しかしこの作品のなかで言及されるモチーフは『銀河鉄道の夜』だけではない。作品のタイトルとなっているダイダラザウルス、ビートルズの《ヘルター・スケルター》、海岸、夜の駅(列車は通過してしまう)、友人たちとのドライブ、子供時代のお祭りの思い出、冬の遊園地(である部屋)。こうしたエピソードが断片的な台詞とともに脈絡なく現れ消える。

演劇を形作るディアローグをつぶやきのレベルまで粉砕するというやりかたで、演劇における言語表現の解体をぎりぎりまで推し進めるような実験を行いながら、作品から浮かび上がってくるのは実に人間臭い叙情性を備えた優美である。ばらばらのことばと役者の身体表現のコンビネーションが作り出した夢幻詩の快楽に浸った。死の直前に一気に思い浮かぶ記憶の情景がそのまま演劇化されているような気が私にはした。

あそこまで開放的な想像の連なりが一つの劇作品として成立しうるという確信をよく持てたものだと感心する。独りよがりで自閉的な作品だと否定的な評価する人も少なくないと思う。正直なところ、1時間40分の芝居で最初の1時間は私も置いてけぼりを食らいそうになった。あそこまでわけのわからない芝居を自分が受け入れてしまっていることが信じられない。まるで催眠術にかかったかのようだ。