閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

毎日かあさん

2011年2月5日ロードショー!『毎日かあさん』オフィシャルサイト

西原理恵子のマンガは『恨みしゅらん』、『まあじゃんほうろうき』のあたりまでは好きでよく読んでいたが、子供を題材とするマンガである『毎日かあさん』は読むのが辛くて読んでいない。作家や芸能人は多かれ少なかれ己の私生活を暴露することで生計を稼いでいるところがあって、それが仕事とは言えその自己暴露ぶりは凄いなあと思うのだけれど、子供を飯ネタにしているのには抵抗を感じて、受け入れがたいのだ。作家あるいは芸能人の子供として生まれたのだから宿命として甘受せよ、それに伴うリスクは自分が責任を持って引き受ける、といった覚悟で暴露しているのであろうし、それはそれで天晴れだとは思うのだが。

さて映画であるが、西原役を演じた小泉今日子のナレーション部分に感じられる露骨な母親ナルシズムに背中がぞわぞわして私は気持ち悪かった。役者としての小泉今日子もあまり好きではないこともあって、主人公である母親にあまり共感できなかった。物語は母親の視点から語られる。実話をベースとする話だが、物語自体はかなりベタベタの展開だ。親子間の微笑ましい交流、ママ友のつきあいの描写などのなかで、夫婦関係の破綻とその再生が物語の軸になっている。重度のアル中でぐだぐだに崩れていき廃人化が進行する夫に妻は愛想をつかす。その夫の崩れ方と反比例するように妻は母としてどんどんたくましく成長していく。母ちゃんが立派すぎると父/夫は家庭内にどんどん居場所がなくなってしまう。男がいい年して甘えているといえばそれまでなのだが、スーパー母ちゃんとなっていく妻のもと、自信を喪失し、鬱屈していく夫が家族内での自己存在を主張すべく、酒に溺れたり、DVに走る気分というのはわからないでもない。素晴らし過ぎる妻も素晴らし過ぎるがゆえに、夫の甘えと退廃を助長しているのだ。

西原理恵子と鴨志田讓の夫婦関係の破綻はおそらくどうしようもない必然だったのだ。この負の循環を断ち切るために冷徹に離婚を決意した西原は聡明だ。父親不在は家族にとって大きな障害とはならない。いやむしろ夫/父というのは家族のなかでなくても実は困らないし、どんどんいじけてねじくれていく父/夫は害悪でさえある。でも夫をこういう風に追い込んでしまったのは実は彼女なのだと思う。おそらくそれをどこかで西原は自覚している。破綻が宿命であったとはいえ、まあ好きになってしまったのだからもうどうしようもないのだ。確実に愛し合い、切実に求め合った初期の甘い記憶、それさえあれば夫婦としては十分であるように思える。その記憶があるからこそその後、家族であり続けることができるようにも思えるが。

映画ではあまり描き出されていなかったが、離婚に至るまでの家庭内の修羅場は相当ひどかったのではないかと想像する。しかし西原ー鴨志田は鴨志田の衰弱という事態によって最後の最後に再生し、夫婦の歴史を美しい思い出で締めくくることができた。鴨志田は若死にしたけれどその生涯は幸福だ。こんなに思い通りの最期を迎えられる人間はそうそう多くはないはずだ。