閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

エレベーターの鍵

うずめ劇場
うずめ劇場HP

上演時間60分のうち、50分は女優一人によるモノローグ劇である。女性は室内に幽閉されている。それは城のなかに幽閉される民話のなかの姫のように。
演出家のゲスナー氏が劇場入口で穏やかな微笑とともに観客を迎える。開演前の「口上」もやはりなごやかな雰囲気のなか、柔らかい語り口で。
しかしこの平穏さもまた演出の一部であるかのように、60分の芝居の内容は恐ろしく殺伐としていて、えげつないものだった。一人語りの女優の悲鳴の切実さが、黒板に爪をたててずらしたときの耳を思わずふさぎたくなるような摩擦音のように、観客を苛む。くまのプーさんのようなゲスナー氏は穏やかな笑顔のもと、悪魔のようにこの逆説を楽しんでいるに違いない。倒錯したサディストだと思う。

城の中で「王子」を待ち続ける古典的なおとぎ話が、冒頭でながながと語られる。そしてそれを語っている女自身が、やはりこの部屋で幽閉状態で生きることを余儀なくされている。彼女が語るおとぎ話は彼女自身の人生の隠喩である。女の人生は、グリム民話初版に掲載されたいくつかの民話の残酷さをさらにエスカレートさせたかのようなえぐいものだった。この部屋で夫の帰りを待つ女は、まず足を切り取られることで動きを奪われる。次に聴覚を、怪しげな手術によって、強制的に奪われる。そして視覚も。耳も聞こえず、目も見えなくなった女は、喋り続けるしかない。悲鳴を挙げ続けるしかない。声を出し続けることで、彼女は辛うじて存在し続けることができる。この状態のなかでも彼女は夫を待ち続ける。夫こそが彼女の存在を保証することができるのだ。いつの間にか彼女はこの部屋で老婆になっていた。
長く濃密な独白が続いたあと、男二人が現れる。女の夫と夫の友人の医師である。この医師が夫の要請に従い、彼女から動きを、耳を、目を奪ったのだ。そしていよいよ女から声までもが奪われようとしていた。気配でこの危険を察した女は、無我夢中で抵抗する。

容赦ない厳格さで、絶望の深淵を観客に突きつける芝居だった。何ともやり切れない寓話的悲劇、どろりとした後味の悪い結末。
劇場出口では、ゲスナー氏がまたあの笑顔で観客を送り出していた。