閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

時をかけるジョングルール

ジョングルール・ボン・ミュジシャン

  • 出演:ジョングルール・ボン・ミュジシャン 名倉亜矢子(歌・ゴシックハープ他)、辻康介(歌・語り)、上田美佐子(中世フィドル他)、近藤治夫(バグパイプ、ハーディガーディ他)、ゲスト:立岩潤三(パーカッション)、石橋愛子(パフォーマー)
  • 演出:大岡淳

【曲目】後白河法皇(編):梁塵秘抄より「遊びをせんとや生まれけむ」「金の御嶽にある巫女の」 / 作者不詳:カルミナ・ブラーナより「極道の歌」、「来れバッカス」 / アルフォンソ賢王(編):聖母マリアのカンティガより「蝋燭とジョングルール」 / 作者不詳:サルタレッロ、王のエスタンピー ほか

  • 会場:本郷 求道会館
  • 評価:☆☆☆
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ジョングルール・ボン・ミュジシャンのコンサートに三年ぶりぐらいに行った。ジョングルールとは中世ヨーロッパの放浪芸人のこと。音楽の演奏や舞踊のほか、曲芸や道化芸、文芸の朗唱なども行った多芸の芸人である。ジョングルール・ボン・ミュジシャンは中世の世俗音楽の演奏団体で14年ほど前から活動している。中世の歌曲の歌詞の一部を日本語に訳して歌うのが特徴かもしれない。昨年からは中世日本の古謡を旋律に乗せて歌ったりもしている。

今日のプログラムは12-14世紀の中世ヨーロッパの歌曲、器楽曲と「梁塵秘抄」から何曲か、中世の東西の俗謡で構成されたものになっていた。また今日のコンサートはSPAC文芸部所属の劇作家・演出家、大岡淳氏が演出を行っている。コンサートを、中世、とある町の広場での祝祭での余興に見立てたものになっていた。場所は本郷の求道会館、武田五一という明治期の建築家が設計した仏教施設だそうだが、モダンな洋風のなかに和を組み込んだような独特の様式の建築物だった。

さて演出家が入った芝居仕立てのコンサートだけれど、正直なところ、私はあまりのれなかった。自分が中世フランスの世俗文学研究をしていて、ジョングルールについて知識があるために、あるべき形というのが頭にできあがっているかかもしれないが、新劇で金髪カツラの役者たちが西洋風の身振りでやる翻訳劇を見るときような(今時こんな舞台は実際には滅多に出くわすことがないのだが)居心地の悪さを感じる舞台だった。

誤解された中世でも別に構わないのだけれど(私自身の中世観も多かれ少なかれ一九世紀ロマン派的中世観の枠内にあるのだが)、誤解するならするでもっと徹底的に誤読して、独創的でグロテスクで奇妙な中世を見せて欲しかったように思う。もちろんジョングルール・ボン・ミュジシャンには既にかなり多くのファンがいるので、そのファンとの共同幻想の枠内にある中世ぽさを提示する必要はあるのだろうが。求道会館は修道院に見立てられる。アナトール・フランスの『聖母の軽業師』を連想させる短い場面が導入で使われていた。

違和感を感じたのは、中世ヨーロッパが身分制社会で、放浪芸人は賤民としてひどい差別を受けていたというイメージの提示だ。貴族、高位聖職者から見ると、彼ら以外の人間はすべてvilain下民とされていたが、少なくとも歌曲の歌詞や文学作品の描写からは、中世フランスで芸人が特に賤民として差別されていたことを強調するテキストを私は目にしたことがないように思う。日本の中世の芸能者のイメージを無批判にそのまま重ねあわせてはいないだろうか?今日のコンサートの当日パンフに中世芸人=賤民といったことが書かれ、コンサートの演出のなかでも強調されていたので、気になった。この件については改めて確認しようと思う。

会場は盛り上がっていた。ジョングルール・ボン・ミュジシャンのファンが期待する世界は再現されていたのだと思う。