閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

春風亭昇太独演会 オレスタイル

新宿サザンシアターに春風亭昇太独演会を娘と一緒に聞きに行った。昇太の独演会に行くのはこれが初めてだった。昇太は3席、いずれも滑稽噺、最初の2席が古典で、最後が新作の「人生が二度あれば」だった。
「とにかく私はぐだぐだした笑いで、これからもずーっといきますんで〜」ということ。段々盛り上がっていく感じではあったがどれも面白かった。満足度のきわめて高い独演会だった。2席目の「寝床」、大家さんの義太夫節の酷さの描写がどんどんエスカレートしていくところで爆笑した。

でも一番印象に残ったのは最後にやった20分ほどの創作「人生が二度あれば」である。既に録音で聞いて知っていた噺だったが、録音で聞いたときはそれほど面白い噺だとは思わなかった。老人が「人生が二度あればやりなおせたのに」と昔をくよくよ思い出していると、手入れしていた盆栽の松の精が現れて、老人を過去にタイムスリップさせる。そこで老人は悔いの残る三つの体験をもう一度繰り返すことになるのだが、という噺だ。
似たようなアイディアの話は落語に限らずあまたあるように思う。

「私はずーっとこんな感じでやってきたんであんまり昔を振り返ったりすることはないんですけれど」と大学の落研に偶然は入り、そこから流れで等落語家としてやってきた経緯をどちらかというと淡々した、昇太にしては平凡に感じられる枕からこの噺に入っていた。

「えーん、えーん」
話に入ると、最初の場面では老人は泣きじゃくっているのである。しかし何で泣いているのか老人自身にもわからない。「あれ、何で俺は泣いているのだろう」というところから、老人は過去の回想に入っていく。回想というか、過去を振り返ってそのときの自分の行動をぐちぐちと悔やむのだ。
このなぜかしらないけれど泣きじゃくっているという唐突な始まりかたがとても印象的だ。ひっかかりを感じるのだけれど、噺が進むにつれこの泣いている場面は観客も忘れてしまう。しかし噺の最後にこの泣きじゃくる場面に再び到達する。過去に戻った老人が確認した間抜けで悲しい現実とこの涙がリンクするのだ。そして噺はループしていく。

このぐるぐると同じ内容を繰り返す噺の円環構造、これ自体も珍しい手法ではないのだけれど、この話では非常に効果的なのだ。タイムスリップものとしてもありふれた設定と展開、ナンセンスなギャグのたわいのない噺なのだけれど、ぐるぐると記憶の世界をループしていくこの構造には哲学的な意味を読み取ってしまいたくなる。人生の最晩年に、ほとんど惚けた頭で同じ過去の思い出を反芻しつづけ、その回想の円環から逃れることのできないまま少しずつ死へと向かっていく、そういったリアルな晩年が思い浮かんでしまい、私はちょっとじんときた。そして私はそんな最晩年を悪くないと思うのだ。