閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

新橋演舞場 二月名作喜劇公演

新派・松竹新喜劇合同公演@新橋演舞場

『お種と仙太郎』 
-作:茂林寺文福 
-脚色:平戸敬二 
-演出:米田亘 
-美術:高須文七、前田剛 
-演出補:成瀬芳一 
-評価:☆☆☆☆ 


『大当たり高津の富くじ:江戸育ち亀屋伊之助 』
-作:平戸敬二 
-補綴:成瀬芳一 
-演出:門前光三 
-美術:前田剛 
-評価:☆☆☆☆ 


『おやじの女』
-原作:安藤鶴夫 
-脚色:館直志 
-演出:成瀬芳一 
-補綴:平戸敬二 
-演出補:米田亘 
-美術:古川公元 
-照明:北内隆志 
-音楽:加納光記 
-効果:畑中富雄 
-評価:☆☆☆☆ 

-出演:水谷八重子、波乃久里子、中村梅雀、渋谷天外藤田朋子山村紅葉、丹羽貞仁、高田次郎、英太郎 
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新派と松竹新喜劇の役者たち、それに中村梅雀が出演する松竹新喜劇で上演されてきた名作喜劇三本立て公演を見にいった。三本ともそれぞれ雰囲気の異なる作品だったがいずれも面白かった。 

松竹の喜劇の舞台を生で見るのは今回が初めてだった。 
見る前はそれほど期待していなかった。ゆるい脚本で強引に展開するベタベタの人情喜劇で、劇達者な役者たちがそれぞれ勝手に動くような芝居を想像していたのである。しかし少なくとも今回見た三本はそういう芝居ではなかった。いずれも期待以上に楽しむことができた。脚本は想像していたよりもきっちりと書かれていて、展開のさせ方も巧みだ。また役者の芝居にも丁寧な演出がつけられていて、各役者の芝居にはアンサンブルが感じられる。その調和のなかで、要所要所、効果的に役者の個性が発揮されていた。 

最初の「お種と仙太郎」は中世フランスのファルスにあるようなシンプルな筋立て、類型的人物、定型的なギャグを用いた喜劇で、最後にモラルが提示されるのもファルスっぽい。息子夫婦の仲の良さに嫉妬し、嫁をいびり倒す意地悪な姑が、策略によって最後には改心する話。女形の英太郎の意地悪婆さんぶりが達者で愉快だ。台詞のながれ、リズム、役者たちの立ち位置などが滑らかで心地よい芝居だった。 

二本目の「大当たりの高津の富くじ」は上方落語の「高津の富」が元ネタとなっている芝居。主人公の道楽息子、伊之助を中村梅雀が演じるが、上方和事のつっころばしではなく、江戸育ちのお人好しの町人に人物設定が変更されている。この芝居は伊之助が富くじに当たった場面の喜劇性のクライマックスが集中している。千両大当たりで各人がそれぞれびっくりする様子を各役者が工夫を凝らして演じるのが見どころで、単純な笑いの場面なのだけれど、その滑稽さだけで大きな満足感が得られた。富くじの結果発表を聞きにいく様々な人たちが舞台背景を下手から上手へぞろぞろと移動していく描写もとても印象強い演劇的な場を作り出していた。伊之助を演じた梅雀、もちろん悪くはないのだけれど、他の役者のなかではちょっとぎくしゃくしたリズムで、私がこれまでに見た芝居で感じたほどの精彩がない。 

三本目の「おやじの女」は時代設定が昭和の時代に下る。歌舞伎の義太夫語りの親父が死んだ100日後が舞台。未亡人となった正妻のもとに、夫の愛人だった女が訪ねてくる。前半のしっとりと落ち着いた抒情的雰囲気と後半の正妻と妾の対立の場面の喜劇性が、優れた対比効果となっている名作だった。昭和の貧しい家屋を再現した美術と夜の下町の照明のセンスもいい。正妻と妾の対立は最後には和解へと収束されていくのは喜劇の約束事だが、その結末は爽やかだった。妾役の水谷八重子は風邪をひいているのか、声がかれてしまっていていかにも演じるのがしんどそうであったのが気に掛かった。 
20代の娘役をこの作品で演じた藤田朋子、二番目の「高津の富くじ」では女義太夫を演じていたが、40後半の実年齢だけれどまだまだ可愛い。私はこのタイプの顔がけっこう好きなのだ。 

比較の対象としては適切ではないかもしれないが、フランスのブルヴァール喜劇を連想する。しかしフランスの大衆喜劇であるブルヴァール劇より、今回見た松竹喜劇の方が私は好きだ。見に行ってよかった。思いがけず満足度の高い公演だった。