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閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

Mouth on Fire : Samuel Beckett "Before Vanishing..." 消滅する前に

演劇

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アイルランドの劇団、マウス・オン・ファイアによるサミュエル・ベケットの後期戯曲上演を見に行った。上演されたのは「オハイオ即興劇」、「あしおと」、「あのとき」、「入ったり来たり」の4篇。上演時間は休憩10分をはさみ二時間強。上演後、一時間以上続くアフタートークがあった。 

マウス・オン・ファイアはダブリンで2010年に設立された劇団で、戯曲のト書きとベケット自身の演出に基づき、ベケット作品をできるかぎり忠実に再現することを目指した上演を行おうとしているのが特徴のようだ。劇団創設は2010年と歴史は浅いが、演出家、役者は既に経験を積んだベテランっぽい人たちだった。 

ベケットは日本では『ゴドーを待ちながら』の上演がほとんどで、実験性が強い後期の短編戯曲の上演機会は滅多にない。アイルランド人が英語で上演するというのとチケット代1000円と破格の値段だったこともあり予約した。 

字幕なしの公演ということで事前に日本語訳を読んで予習しておいた。「入ったり来たり」はこのなかではちょっと異色で、登場人物は女性三名で互いの人物に台詞のやりとりがある。短いコントのようなユーモラスな作品だ。ほかの三作「オハイオ即興劇」、「あしおと」、「あのとき」はモノローグ主体のドラマだが、いずれも言葉の詩的な美しさが印象的だ。しかしとりわけ文字の情報量が多く、脚本の字面からかなり早口で読まれるだろう「あのとき」など、字幕なしでも見るととうていその美しさは感じ取ることはできないだろうなと見る前は思っていた。他の戯曲も翻訳を通しても詩的なイメージの美しさは感じられるものの、英語上演を見て理解するには相当な集中力が必要とされそうな作品ばかりである。おそらく暗い照明のした、人物の動きが極端に制限された芝居になるだろう。退屈で寝てしまうかもしれないことを覚悟して見に行ったのだけれど、思いの外、どの作品も楽しんで見ることができた。 

英語で字幕なしの上演だったため、台詞は断片しか聞き取れなかったのだが、ベケット劇の格好良さ、洗練された様式を堪能できる舞台だった。役者の動きや視覚的なスペクタクルといった演劇性をギリギリまでそぎ落としたようなああいう作品を舞台で上演する意味を感じとることができたのは収穫だった。見に行ってよかった。戯曲を読んだ時点では、ほとんど詩の朗読といってもいいようなこの手の芝居を、テキストの内容も聞いてろくに理解できないのにわざわざ演劇作品として見に行く意味はあるのだろうか、などとも思っていたのだ。 

短編のドラマにイェーツの後継者としてのベケットも感じとることができた。ベケットはモダンなイェーツだ。とりわけ「あしおと」の病的でオカルトっぽい雰囲気はイェーツの戯曲の雰囲気を連想させる。高野竜さんのモノローグ・ドラマも連想した。 
照明はどの作品も暗い。人物とその周辺をぼんやりとしたスポットとして照らすようなものが多かったのだが、バックの暗闇との対比でそのシンプルさが非常に奥行きのあるシャープな雰囲気のスペクタクルを作り出していた。「オハイオ即興劇」のテーブルの側面にあてられたライト、「あのとき」で台詞のない、数回うなるだけの役者の顔をぼんやりと映し出す光、「行ったり来たり」で三人の婦人が来ていたくすんだ茶、紺、黄色のコートの色合いはいずれも絵画的な美しさを持っていた。 

ベケットのこの手の実験劇、これまでも幾つか見たことはあるけれど、今回のマウス オン ファイアが一番それっぽく、作品の演劇的特性を伝える舞台だったような気がする。「あのとき」は録音された3つの声の配置が空間性を作り出し、舞台下手でぼんやりと光に照らされている無言の役者の顔ととともに、演劇的空間の奥行きを成立させていた。 
『コドー』よりも今回のようなモノローグ・スタイルの短編の方がダンディでスタイリッシュでカッコいい、ベケトは。 
アフタートーク、一時間越える長さ。演出家も役者もみんなよくしゃべる。