こまつ座 第99回公演
- 作:井上ひさし
- 演出:鵜山仁
- 音楽:荻野清子
- 美術:島次郎
- 照明:古宮俊昭
- 音響:秦大介
- 衣装:原まさみ
- 出演:藤井隆、福田沙紀、鈴木裕樹、田代隆秀、小林勝也、阿部夏実、松浦妃杏
- 劇場:新宿南口 紀伊國屋サザンシアター
- 上演時間:80分
- 評価:☆☆☆☆★
久々にこまつ座の公演を見にいった。井上ひさしが24歳のときに書いた戯曲『うかうか三十、ちょろちょろ四十』がかかっていたからだ。この作品は人形劇団プークの公演で三回ほど見ている。プークの公演のなかでは一番好きな作品だし、これまで私が見た井上ひさし演劇作品のなかでも最も好きな作品だと思う。
こまつ座の公演はもちろん人形ではなく俳優が演じる。チケット代6500円は私が見に行く演劇としては高額の部類のなのだけれど、好きな作品だし、演出が鵜山仁なので失敗もないだろうということでチケットを予約した。
ところがチケットの入ったファイルケースをおそらく大学に忘れてしまったのだ。紀伊國屋サザンシアターに到着してからチケットのないことに気づいた。受付のカウンターで聞いてみると、購入先と座席番号が分かれば仮チケットを発行できるとのこと。iPhoneのメールを検索すると、予約確認メールを見つけることができた。チケットを忘れたのはおそらくこれが初めてなのであたふたしたが、こまつ座受付の対応は慣れたかんじだった。iPhoneで助かった。
私はやはりこの戯曲が大好きだ。今日見て、なぜ私がこの戯曲に深く心を揺さぶられたのかよくわかった。「生きるってことに意味はないのだけれど、その無意味を受けとめながらそれでも生きていくもんなんだよ」という人生に対する虚無主義、生きることに伴う不条理の受容を、明るく柔らかな田園牧歌的、民話的雰囲気のなかで歌いあげる作品だ。鵜山演出はこのコントラストを強調して、この明暗のせめぎ合いのなかに何ともいえぬ緊張感と抒情を作り出していた。
20歳の若殿が侍医を連れて領内を散策していると、村はずれの桜の下のあばら屋から歌声が聞こえてきた。歌っていたのはそのあばら屋に一人で暮らす娘だった。ちかという名のその娘は美しく、聡明で、率直だった。若殿はちかに一目惚れするが、あっさりふられてしまう。
劇の冒頭のエピソードは、十三世紀のフランスの抒情詩、騎士と羊飼い娘の恋のやりとりを歌うジャンル、《パストゥレル》の世界そのものだ。
ちかに振られて落ち込んだ若殿を雷雨が襲う。失恋と雷に打たれたショックで若殿の頭がおかしくなってしまった。
二幕ではその十年後、三幕ではさらにその十年後、殿が30歳と40歳になったときの出来事が展開する。場は常にちかのあばら屋。十年後、ちかは大工の権ずと所帯を持ち、9歳の一人娘れいと暮らすが、権ずは病に伏せったままで、家族は貧しい。しかしちかは娘を慈しみ、けなげに夫を支える。
殿が40歳になったとき、殿は三度、侍医とちかのあばら家を訪れる。実は殿は二十年前に雷に打たれて以来、二十年にわたって気がおかしくなっていて、この間の自分の行動の記憶が全くない。40歳になった春に突然正気に戻ったのだ。ちかのあばら屋を20年分年老いた侍医とともに訪れるが、そおにちかはいなかった。二十年前のちかそっくりの娘のれいが一人であばら屋で暮らしている。殿はれいに城に来るように誘う。20年前にちかを誘ったように。しかしれいはそれを拒絶する。
殿が記憶を失った20年の空白を嘆き、悲しむところで芝居は幕を閉じる。
24歳にして井上ひさしはすでに人生について悟っていたかのようだ。 孤独と生の不条理を受け入れる諦念、覚悟がこの時代の井上ひさしに既に備わっていたように感じられる。深い絶望がある。しかしそれを受けいれる明るい強靱さもある。
私は芝居を見ながらボロボロ泣いた。