ふじのくに⇄せかい演劇祭という地方都市、静岡で行われた世界的水準の演劇祭を楽しんだ翌日、高速バスに乗って東京へ戻り、そのまま埼玉県宮代町へ。東武動物公園駅からタクシーで5分ほどのところにある宮代町郷土資料館敷地にある築200年の住居、旧加藤家で行われる平原演劇祭2013 第3部を見に行った。
上演のため旧加藤家の障子や雨戸は取り外され、建物の中を風が吹き抜ける開放的な空間になっている。
旧加藤家住宅。平原演劇祭2013第三部会場。開演五分前だけど、中は稽古中(^^;;
観客は靴をぬいで畳の広間にくつろいだかっこうで座る。演技はそのすぐ目の前で行われる。私が到着したのは開演予定時間の13時の10分ほど前だった。しかしその時点でまだ旧加藤家内では最後の稽古が行われていて、観客は外からそれをぼんやり見守っている。このだらしなさ、ゆるやかさ。
平原演劇祭第三部のプログラムは以下の通り。縁側に転がっていたのを撮影した。この演目表ぐらいコピーして観客に配って欲しいものだが。
「
盛りだくさんである。詩人の暁方ミセイさんの詩の朗読、高野竜作の戯曲「しじみSF」、そして大正時代の地元、宮代町の名士島村盛助作の謡曲(?)「烏江」が、幕間(ここで抹茶とお茶請けが供される)を挟んで分断されたかたちで上演される。各作品の完成度は時にぐだぐだだったりするのだけれど、この分断のプログラム構成は本当によくできている。あとパフォーマンスの完成度は必ずしも高くなくて観客がつっこみを入れたくなるような隙だらけなのだが、作品自体のクオリティは高い。
開演時間過ぎまでリハーサルが行われたあと、観客が揃ったなあという雰囲気になったところで高野さんが出てきて、挨拶がわりにドロドロのそば湯はどうやって作るのかという蘊蓄を語った後、「そば湯のうた」を歌う。これが平原演劇祭2013 第3部のオープニングだった。観客は今回はかなり多い。40名ぐらいはいたように思う。
間の抜けた「そば湯のうた」のあと、詩人の暁方ミセイさんによる自作詩の朗読が行われる。暁方ミセイさんのことを私は知らなかったのだけれど、昨年(2012年)に中原中也賞を受賞した気鋭の若手詩人とのこと。前半の朗読はパーカッショニストのMEW氏との共演だった。
写真では座ったままの朗読だが、このあと屋内を歩きながら朗読したり、観客に背中を向けて朗読したり。読み終わるたびに原稿用紙が床に落とす。パーカッションのMEW氏は、絶妙のシンクロによってことばとともに奥行きのある音風景を即興的に描き出していく。古い日本家屋の空間も共鳴しあい、神秘的な世界がたちまち広がっていった。
続いて高野さんがまた登場して、名倉歩美とホーミーの実演。といってもあんまり上手ではなかったが。ホーミーの音を響かせながら高野さんが退場し、名倉歩美が観客の前に出てくる。大正期の宮代町の文人、島村盛助作の謡曲(?)「烏江」がそのままはじまっていった。こうした移行の流れの作り方は本当に巧い。自然と観客は別の世界に運ばれていく。「田楽」と称していたが、演者の芝居は狂言風で発声がろうろうと響き渡る。物語の内容は、旅人が宿屋に泊まるのだけれど、その旅人は骨壺の幽霊女を旅の供していて、それを知った宿屋の主人に追い出されるという話のようだ。宿屋の主人はなぜか上半身は黒いブラだけ。
前半の最後は、群馬県の女性二人からなる劇団12(トゥエルブ)による高野竜作「しじみSF(改)」。これもよくわからない。物語的には直前に上演された「烏江」とつながりがある。舞台は中世の日本のようだ。旅芸人の一座から離れ一人で旅を続ける女芸人が宿を取る。宿屋の主人はことばを話さない。ジェスチャーで何かを伝えようとしている。どうやら女芸人の追っ手がこの宿にやってきたらしい。宿屋の主人はニシンの仲間のこのしろという魚を焼いてこの追っ手を追っ払い、女芸人を救ったようだ。お話は古典的な民話劇みたいだけれど、劇団12の演技は演者の意気込みが過剰で、芝居が常に暴走している感じでどうとらえていいのか困惑する。中世日本を舞台としたグロテスクなSFファンタジーみたいな奇妙な芝居だった。この当惑した状況で仲入りとなる。
平原演劇祭では観客に食べ物が供されることが多い。今回はこの中休みにトマトとモッツァレラチーズのバジルソースと抹茶が出た。平原演劇祭の食べ物ははずれがない。今回も美味しかった。この食事の力もあって、わけのわからぬまま演劇祭の空気のなかに取り込まれてしまうような気がする。良きにつけ悪しきにつけ、平原演劇祭は演者と観客に馴れ合いの内輪っぽい空気が形成される。劇団12の不可解な芝居で「なんだよ、あれ、わかんねえよぉ」という気分だったのだけれど、休憩時間のお菓子とお茶でなんとなく有耶無耶に。
頃合いを見計らって何となく後半が始まる。前半は問いかけで、後半は謎解きという感じだ。謎解きといっても、前半の当惑が解決されるというよりは、当惑を当惑のまま受け入れる精神状態になってしまうのだけれど。土俗と前衛が入り交じったグダグダで難解な出し物の数々が、後半になるとこちらの感覚に馴染んでくるのである。というか会場の雰囲気のなかで、観客の意識が取り込まれてしまう。
後半最初の演目(?)は高野竜氏による「スプーン曲げ」の実演。これはむしろ語り芸。このトリッキーな演目にひきつづき、松本萌の舞踏が始まる。この舞踏も謎で、解釈不能だ。演目名は「ねぎ油」。民謡風の歌詞と旋律だが、チェンバロ伴奏という奇妙な曲が流れる。
http://m.soundcloud.com/fomalhaut4/negi
松本萌はするめを持って登場。するめに歌詞が書いてあるらしい。最初に「ねぎ油」の歌を歌い、中間は舞踏。そして締めくくりでふたたび「ネギ油」の歌を歌う。
ねぎあぶら
おらぎながぐづ長すぎでぃ
ハァごぼう農家だへてゃなぶらりてぃ
暁(あぎ)のあがるさはまんぶすな、ど
野良へで夜盗虫(よどむす)つん拾ぉべ
妙義さんさ押す拝み筑波には髪吹いで
すず雲つむのへさ棚引でぃゆぐよ
沸がし凍らしたねぎあぶらさ
ペルシャとかんしぐ通ったんだちけ
んまコはなビゴど蘆(ヨシ)さ笛に
んま屋のおらげに帰るびか
大麦ばた波引いでうどん踏む餓鬼の足
鰯のだし煮だらねぎあぶらくろ
干しこのうどんにはねぎあぶらだへ
意味不明の歌と踊りで呆然とする。その呆然とした状況で暁方ミセイさんが鞄をもってすーっと入ってくる。今度は会場内を歩きながら詩の朗読を行う。
続いて劇団12による「しじみSF」の第2幕。紙芝居を使った漫才風スタイルで第一幕で演じられた「しじみSF」の物語の背景となるこのしろ伝説が説明される。
このしろは焼くと、人間の死体を焼いたような臭いがするという。この臭いを利用して、追っ手から人を逃がしたという伝承が宮代町にあるそうだ。高野竜作「しじみSF」はこの伝承を膨らませて作ったものであることが明らかになる。こういったことに目をつけて、演劇作品を作り出していく想像力に高野氏の作家性を感じる。群馬の女性二人からなる劇団12、こんなアナーキーで得体のしれない演劇ユニットを私は他に知らない。そのエキセントリックで暴力的な芸風には唖然とするしかない。彼女たちは何かを代行して演じてるというよりは、演じることによって自分を自己破壊ぎりぎりのところまで解放しているかのように感じられる。劇団12によって解体、再構成された「しじみSF」は思いの外、感動的であった。初演を見ている高野氏の奥さんの話によると、12による解体・解説で「しじみSF」はよりわかりやすくなっていたとのことだった。私は初演は見ていないが、この解体版「しじみSF」によって、オリジナルの雰囲気は思い描くことはできた。
だんだんこのあたりになると疲れてきた。前日の静岡から濃厚な演劇作品を見続けているのだから仕方ない。「烏江」第二幕はプロレスじみた格闘の場面からはじまり、内容が混沌としたものとなる。話が古代中国に移っているようでもあるし。
名倉さんの表情、姿勢、発声の美しさを味わう。
締めはベケットの「エンドゲーム」の抜粋。この締め方は実にかっこいい。だらだら、うだうだと続いてきた演目に明確な区切りが与えられる。得体の知れない不思議な時間の終わり。異世界への扉が閉じられる。
午後1時過ぎにはじまった平原演劇祭2013 第3部は午後4時過ぎに終了。
今年は平原演劇祭、第4部があるという。9/22(日)の夕方、宮代町にある公演の池の上での水上公演。浮き橋のようなところで何かやるらしい。