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閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

風立ちぬ

映画

風立ちぬ(2013)

 零戦設計者の堀越二郎の航空機開発のエピソードに、堀辰雄の『風立ちぬ』の恋愛譚を合成した話。一流技術者の男の夢の実現とそれを陰で支える女という定型的な設定だが、少なくとも私は『風立ちぬ』をベースとした恋愛物語の流れが強調されているように感じた。

 

堀辰雄の「風立ちぬ、いざ生きめやも」がポール・ヴァレリーの詩の一節の翻訳であることを、恥ずかしながら私はこの映画を見て初めて知った。ヴァレリーの原詩では「Le vent se lève, il faut tenter de vivre」であり、直訳すると「風が吹き始めた。生きようとしなくてはならない」となる。堀辰雄の訳の「めやも」というのが分からなかったのだけれど、wikipediaの記事によると

「生きようか、いやそんなことはない」の意であるが、「いざ」は、「さあ」という意の強い語感で「め」に係り、「生きようじゃないか」という意が同時に含まれている。ヴァレリーの詩の直訳である「生きることを試みなければならない」という意志的なものと、その後に襲ってくる不安な状況を予覚したものが一体となっている。また、過去から吹いてきた風が今ここに到達し起きたという時間的・空間的広がりを表し、生きようとする覚悟と不安がうまれた瞬間をとらえている。

 とのこと。

 

宮崎駿の『風立ちぬ』の恋愛パートは、ウルトラ・ロマンチックだ。男性的ロマンの追求である航空機開発のパートと対照をなしている。しかしこの二つの相反するパートは、「風立ちぬ、いざ生きめやも」という堀辰雄の一節で繋がる。風は生命の息吹の象徴である。飛行機のプロペラの回転によって風は生じ、そして宮崎作品の十八番である飛行機滑空場面で見事に表現されている。堀越とその恋人、美穂子の出会いも風がキーワードとなっている。物語の要所要所で風が表現される。「いざ生きめやも」という堀辰雄の訳にこめられた生きる意志と諦めの共存は、堀越が心血を注いで開発した零戦の末路、そして結核の病状が決定的に悪化する前に、かすかな希望をもって堀越のもとを去る美穂子の思いと重なる。

 

結核悲劇ではたいてい女が病死する。宮崎駿の女性に対する願望、性的幻想に共感しつつ、それに敢えて言及しない男性の観客は多い気がする。私はあの女性観に素直に共感を示すことには抵抗を感じる。宮崎作品での理想化された女性像は、記号的でアニメという表現でこそ最も説得力を持ちうるような女性であるように思う。私は自分のなかの記号的女性への指向の表明することには躊躇するが、宮崎駿作品ではこのような女性観があからさまに提示されていることがすごい。示すことができるからこそ作家たりえるのだろうが。

 

嫌煙社会となった現状への異議申立てのようにタバコの場面がやたらと出てきた。私はタバコを断って8年になるけれど、久々にタバコのおいしさを思い出した。深呼吸して喫煙の気分だけ味わってみる。