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閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

平原演劇祭2013第4部《ゲオルク・ビューヒナー生誕200年水没祭》 

平原演劇祭2013第4部《ゲオルク・ビューヒナー生誕200年水没祭》 

  • みやしろ演劇パーティ『生きてゐるヴォイツェク』(出演者:生田粋(シンガーソングライター)。志賀未奈子(劇団12)。渋川智代(宗教劇団ピャー))

  • 短距離男道ミサイル(仙台)『野武士RE-ism

  • 天丼『クライマックス反抗記』

  • すいか記念日『女子高生がどぼどぼ』

  • 【会場】埼玉県宮代町「新しい村」湖上 特設ステージ

【上演場としての野外】

埼玉県宮代町在住の劇作家・演出家、高野竜は、10年以上前から個人で、子供と地域をキーワードとするきわめてユニークな地域演劇祭、平原演劇祭を主催している。この演劇祭の公演会場は、古民家や野外、喫茶店など劇場でない場所であり、上演の場の特性を生かしたキャスティングと作品の選定が行われている。

 

「次回の演劇祭では池に水上ステージを作って、そこで『ヴォイツェク』を上演する」、「役者が池に飛び込むよ」という上演計画が予告されたときから、今回の公演がこれまでの平原演劇祭以上に特異なものとなることを予想して、期待を膨らませていた。

 

少なくともここ数年、東武動物公園の隣にある公園の池のほとりは、平原演劇祭の公演会場のひとつだった。ここには昨年まで、簡素ながら木製の野外舞台が設置されていたのだ。ところが今年は老朽化のためにこの木製の舞台が撤去されてしまった。普通の人なら別の公演場所を探すところだが、高野は「それなら水上に舞台を(勝手に)作ってしまえばいい」と考える。かなり以前から上演の構想があったビューヒナーの未完の戯曲、『ヴォイツェク』が頭に浮かぶ。『ヴォイツェク』なら役者が池に入るという設定はそのまま使える。それに今年はビューヒナー生誕200年というのも上演の口実となる。

 

高野が設置した水上仮設舞台というのが、また常軌を逸したものだった。会場は東武動物公園駅から歩いて15分ほどのところにある「新しい村」公園の池のほとりである。舞台を見て呆れ、笑った。木製のパレット(運搬に使うすのこのような台)が、筏のように水上に浮かんでいるのだ。浮きには発泡スチロールが使われている。パレットどうしは縄で結んでいるらしいが、あんなゆらゆらと不安定極まりない場所で演劇上演なんて正気の沙汰とは思えない。客席は長い板の簡易客席がいくつか。あとは荒れた芝生の斜面に思い思いに座り、池と向かい合う。

 

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高野の演劇は、此方から彼方への扉を開く。あらゆる演劇、あるいはあらゆる文芸は多かれ少かれ、現前に異世界を将来し、観客に擬似的な旅を提供する性格を持っている。今回の水没祭は、この池の存在が、この二つの世界の境界を視覚的に印象づけるものとなっていた。そして此方と彼方を結ぶのがあの不安定な浮橋状の水上舞台だ。あの浮橋は上演の前に設置され、上演とともに消えてしまう。

【融合する演劇】

 ビューヒナー『ヴォイツェク』は3つの段階に分けて書かれた不完全な草稿しか残っておらず、劇中場面の配列もよくわかっていない。校訂者によって各場の配列は異なっている。そして残っている草稿は完全稿ではなく、欠落があると考えられている。『ヴォイツェク』には作者による決定稿が存在しないため、各場の配列や選択も含め、多くの部分が上演者に委ねられているともいえる。残された断片的テキストを素材として、校訂者の判断ではなく、上演者自身選択によってそこから自由に新たな戯曲を組み立てることが許されているとも言える。残されたテクストは詩的な断片的情景であり、断片的であるがゆえに観客の想像力をかきたてる。作品全体は黒い布で覆われていて、ところどころが切り裂かれているようだ。われわれがテクストを通して目にすることができるのはその切り裂かれた隙間の光景である。

 

高野竜の『生きてゐるヴォイツェク』は、原作の『ヴォイツェク』には記されていない空白の部分を想像することからはじまる。登場人物はマリー、ヴォイツェク、そしてマリーの愛人となる男という三人の登場人物によるもうひとつの『ヴォイツェク』である。マリーの浮気相手は原作では鼓手長だ。高野竜はこの浮気相手に、鼓手長だけでなく、ヴォイツェクの同僚であり分身でもあるようなアンドレース、さらにはヴォイツェクを抑圧するあらゆる登場人物(大尉、医師など)を集約させているように思えた。そして翻案の題名からわかるように、高野竜の想像力はヴォイツェクを鈴木泉三郎の戯曲『生きてゐる小平次』と結びつけた。ヴォイツェクは小平次であり、マリーはおちかである。そしてマリーの浮気相手はおちかを小平次から寝取った太九郎だ。200年前のドイツと100年前の日本の作品の人物が、時と時空を超えて2013年の埼玉県宮代町にある公園で重なり合い、融合する。この池の上の劇場では時空は歪み、思いがけないものが自由に結びつき、錯綜する。高野竜による「ヴォイツェク」もまた、作者・演出家自身の意思のもと、上演の場ではこの作品とはおよそ異質に思える幕間演劇の大騒ぎによって分断され、そして異質な作品同士が大きな塊となって観客をも飲み込んでいった。

【オープニング、短距離男道ミサイル『野武士RE-ism』】

 浴衣姿の少女が世界を切り開く。「もしも明日が 晴れならば 愛する人よ あの場所で」。少女が先導する合唱で、演劇祭は幕開く。まだ夏の名残が感じられる夕暮れの池に、清麗な歌声が流れる。どこかで聞いたことがあるこのメロディーと歌詞が1983年に欽ちゃんファミリーのわらべが歌った曲であることは帰宅してから確認した。この穏やかな幕開けは、仙台からやってきた短距離男道ミサイルのハチャメチャなエネルギーに満ちたファルス、『野武士RE-ism』によって切り裂かれる。民話的世界のステレオタイプを極端なかたちでパロディ化した暴走的な狂騒牧歌劇だった。夏の夕暮れの景色と穏やかな歌声にふっと観客は、短距離男道ミサイルのパフォーマンスの破天荒さに一気に心を持っていかれてしまう。野武士の一団のメンバーが瀕死の河童を抱えてやって来る。最初は河童を食べてしまう野武士たちだが、野武士団の殿がやってきてひとりぼっちで友達のいない河童を仲間に引き入れることになる。野武士たちと河童は池の上の浮き舞台で角力をとり、義兄弟の絆を結ぶ。水に入る演出は「ヴォイツェク」だけかと思っていたのだが、この角力の場面でどしゃばしゃと役者たちが水の中に盛大に落ちる。河童は20メートルほどある池を対岸まで泳いでいく。最後は浮き舞台と向こう岸で集団ダンス。投げ銭用に小さなかごが客席に置かれていたが、どのタイミングで投げ銭を入れればいいのかよくわからなかった。

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【『生きてゐるヴォイツェク』第一部から天丼『クライマックス反抗記』】

大騒ぎ、大爆笑のエンターテイメントをそのまま引き続くかたちで、『生きているヴォイツェク』の第一部が始まった。第一部はヴォイツェクと鼓手長の二人の場面である。ヴォイツェクは鼓手長にマリーへの愛を切々と訴え、彼女を自分に譲るように懇願する。鼓手長はのらりくらりとそれをかわしす。徐々に夕闇が迫る池の上で、二人はマリーを巡って言い争い、最後は鼓手長がヴォイツェクを池の中にたたき落としてしまう。冒頭からいきなり『生きている小平次』が『ヴォイツェク』を取り込んでしまう。『生きているヴォイツェク』はその直前の演目である短距離男道ミサイル『野武士RE-ism』の狂騒とは対照的に、暗く静謐な空気の中で、息を呑む緊張感とともに進行していく。あたかも池の中に吸い込まれてしまうように。

 

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しかしこの静謐さは、この後に続き間を置かずに上演される天丼による『クライマックス反抗記』によって上書きされる。ちょっとわかりにくいが天丼は演劇ユニットの名前だ。人質に取られた作者の奪還のため、戦隊ヒーローたちが悪者たちのアジトを訪れる。当然そのアジトは水上ステージである。しかし悪者は台本を書き換えてしまうことで、戦隊ヒーローたちの動きを完全にコントロールしてしまう。この台本の書き換えがすべてシェイクスピアの有名な作品からの引用になっているという趣向が秀逸だった。ヒーローたちは書き換えられた台本にしたがって、次々の池の中へと水没していく、シェイクスピアの名台詞を絶叫しながら。アクション・ナンセンス喜劇であるが、台本の書き換え、そしてシェイクスピアのパロディというメタ演劇的で知的な仕掛けが効いている。

 

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【食事休憩、そして後半】

天丼の「クライマックス反抗記」が終わると、日はすっかり暮れ、あたりは暗くなった。会場付近には舞台周辺を照らす照明があるだけで、あとは公園内にもとから設置されている外灯だけである。ここで休憩が入る。即席に作られた特設売店で自家製の山菜ご飯(200円)が売っていたので、それを食べた。短距離男道ミサイルはござ敷の露店を出し、そこでグッズを売っていた。私はステッカーを購入し、役者と言葉を交わした。トイレに行っていた観客が客席に戻り、おおむねすべての客が食事を取り終わった頃を見計らって、『生きてゐるヴォイツェク』第二部が始まる。

 

第二部はマリーとヴォイツェクの場面から。演技場は水上舞台ではなく、観客が座っている池に面した土手だ。手持ちの照明が役者を暗闇に浮かび上がらせる。第一部で水の中に沈んだはずのヴォイツェクが生きている。彼はマリーにすがりつき、逃亡を呼びかける。マリーはヴォイツェクに同意したと見せかけて、鼓手長と共謀しヴォイツェクを惨殺する。この『生きてゐるヴォイツェク』では三人の登場人物はすべて女性によって演じられている。マリー役はフォーク歌手の生田粋。ビューヒナーの『ヴォイツェク』原作には何曲かの民謡風の歌が挿入されているが、『生きてゐるヴォイツェク』でもマリー役の生田が歌った。しかし緊張していたのか、歌のほうはいまひとつ精彩になく、印象が弱かったのが残念。もっと朗朗と彼女の美しく伸びやかな歌声を夜の闇のなかに響かせて欲しかった。ヴォイツェクを惨殺したあと、マリーと鼓手長は逃亡する。

 

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この逃亡に引き続いて、すいか記念日『女子高生がどぼどぼ』が始まる。サングラスをかけた時代遅れなチンピラ風教員と女子高生が浮島舞台へ進む。教員の奇矯な風貌と登場のしかたから、短距離男道ミサイルや天丼のような狂騒的ファルスが三度挿入されるのかと思えば、そうではなかった。やりおえていない夏休みの宿題の提出を巡って、教員と女子高生が一対一の決闘を始める。射的で過去と未来の女子高生を順番に撃ちあっていくという訳の分からない勝負である。子供時代から将来の姿まで、様々な年代の女子高生の分身たちが、順番に打ち落とされ、池の中へと沈んでいく。女子高生の買っていた全身赤いタイツ装束の犬も池へと水没させられる。撃ち殺され、水に沈んでいくのは、女子高生の経験した、そしてこれから経験するであろう人生の様々な局面だ。最後は教員と女子高生もどぼどぼ水没していくという不条理演劇だった。そしてすでにぼろぼろになった筏状の浮島舞台で、水没した何人もの女子高生の亡霊に見守られながら『生きてゐるヴォイツェク』第三部が始まる。逃亡中のマリーと鼓手長。疲れ果て筏のうえで抱き合い、しばしの休息を得るが、彼らの心は安まることはない。その二人を死んだはずのヴォイツェクが執拗に追いかけているからだ。池は生者と死者の世界の境界である三途の川の様相を帯びてくる。どんどんぼろぼろになっていく浮島舞台は、冥府への入口か。そう、上演された日は秋分の日の前日、お彼岸でもあったことを思い出す。

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最後にこれまでに水の中に沈んでいった短距離男道ミサイル『野武士RE-ism』、天丼『クライマックス反抗記』、すいか記念日『女子高生がどぼどぼ』のすべての登場人物たちが浮島の舞台の周辺に立ち現れ、ヴォイツェクたちを囲む。このゾンビたちの集合の場面はあっと声をあげたくなるような美しい場面だった。f:id:camin:20130922192137j:plain

締めくくりはオープニングでも歌われた『もしも明日が』の合唱だった。夜のしじまに、死者たちへの鎮魂歌のようにこの曲は優しく響いた。

 

 

平原演劇祭は、現実と日常である此方と異世界である彼方を結ぶ演劇祭である。演劇を通じて異世界への扉が開く。この演劇祭では、観客は上演される舞台に対峙することが許されない。上演の過程で観客は作品の世界にとりこまれ、内輪へと呼び込まれる。野外空間の特性が上演では十全に生かされている。しかしこれはいわゆる借景芝居とは異なっている。作品世界に必要な要素を本物の景色のなかから利用するのではない。上演の場である野外、むしろ作品上演を通して、その潜在的な特性、脚本と役者、そして上演の関係性の中でひきだされ、新たな意味合いを付与されるのだ。異化された空間のなかで、日常では気付くことなく見過ごされていた特性が立ち現れ、我々の目の前に不可思議な異世界が広がっていく。

 

ところで平原演劇祭2013第4部の浮島舞台の片隅には、水槽がひとつ置かれていた、そこには一匹の鯉が泳いでいた。この鯉の存在については一切説明が行われなかった。作品の内容には何の関わりもなさそうな鯉の存在は、その異質性ゆえにいやがおうでも注意をひき、強い存在感を示していた。この不可解な鯉の存在こそ多義的な演劇空間を統合するものであり、雑多で猥雑で深遠なこの演劇祭の象徴となっていた。この鯉は、公演後に出演者によって食されたとのことだ。まさしく鯉は祭の生贄として、この場を成立させる小さな要となったのだ。

 

公演終了、夜空の下の池には秋の風がそよいでいた。夏の気配をあたかもこの祝祭がぬぐい去ってしまったかのようだ。秋分の日前日の夜の出来事である。

 

Webページ《宮代NOW》に掲載された上演の写真:

http://miyashiro.ikidane.com/heigen/2013/2013_4.html