閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

『クリプトグラム』

http://setagaya-pt.jp/theater_info/2013/11/post_342.html

  • [原作]  デイヴィッド・マメット
  • [翻訳・演出] 小川絵梨子
  • [美術] 二村周作
  • [衣裳] 前田文子
  • [照明] 三谷恵子
  • [音響] 尾崎弘征
  • [舞台監督] 佐川明紀
  • [演出助手] 大澤遊
  • [技術監督] 熊谷明人
  • [プロダクション・マネージャー] 勝康隆
  • [プロデューサー] 穂坂知恵子
  • [宣伝美術] 近藤一弥
  • [イラストレーション] 望月梨絵
  • 出演:安田成美、谷原章介、坂口湧久(子役)
  • 劇場:三軒茶屋 世田谷パブリックシアター
  • 評価:☆☆☆☆

 映画脚本家としても知られるマメットの芝居を見たことがこれまでなかった。大学教授と女子学生が登場人物の『オレアナ』というのは面白そうな作品だなと、小田島恒志先生の授業で聞いて思ったのだが。今回は3月にマクドナーの『ピローマン』(素晴らしい舞台だった)の演出をした小川絵梨子が、マメット作品の翻訳・演出を担当するということで、チケットを予約した。小川絵梨子はこの5月にはピンターの作品の演出をやっている。海外現代戯曲公演の若手演出家として注目株の一人だ。 

 作品のタイトルは『クリプトグラム』。「暗号」という意味である。このタイトル自体が挑発的なことがは、芝居がはじまって間もなくわかる。この作品自体がひとつの暗号なのだ、おそらく。そして見終わった今も、私はその暗号を解くことができていない。 

 登場人物は3人。ジョンという10歳ぐらいの少年、その母のドニー、そしてジョンの父母の友人、デル。ジョンの父、ドニーの夫であるロバートという人物が劇中で何度も言及されるが、彼は舞台には登場しない。 

 

三幕構成で上演時間は80分と短い。場はドニーとロバートの部屋。舞台は、劇場備え付けの舞台をそのまま使うのではなく、劇場入口に対して斜めに設置されている。二階から一階に降りてくる階段が印象に残る。二階はジョンの寝室があるらしい。ジョンは二階から登場する。出入り口は白い枠で表現されている。全体的に白っぽい素材でできていて、具象的美術ではあるけれど、幻想味が漂っている。通常の客席に対して、平行ではなく45度の角度で対している舞台は、観客にとってはどこか不安定で、落ち着かない感じがする。 

一幕目が「ある日の夕方」、二幕目が「次の日の夜」、三幕目が「一ヶ月後の夕方」となっている。会話はある意味で超がつくほどリアルである。しかし演劇の台詞の枠組みとしては不自然で欠落が多い。 

古典演劇の規則である三単一の法則は、舞台表現のリアリズム実現のための約束事であるが、例えばそれを極端におしすめた平田オリザの現代口語演劇でも、舞台上での出来事、登場人物の関係が観客に伝わるような情報を台詞のなかに織りこんでいる。第三者の日常が再現されているだけでは、コンテクストを共有しない観客には、ドラマとして成立しないからだ。17世紀の古典戯曲では、冒頭に、舞台上で継起する事件以前に起こった事実関係を説明する「語り」の台詞を割りあてられた役柄が必ず存在する。 

 

『クリプトグラム』は冒頭で前置きなしにいきなり核心から入る。眠ることができず、寝室から居間に降りてくる少年。居間には中年男が一人いる。しかしその中年男は、少年の父親にしては、この二人の会話はぎくしゃくしている。中年男(デルという名前であることがだいぶ後になってわかる)は、少年の父母の友人であることが段々わかってくるのだけれど、デルがなぜ夫で母子だけのこの家庭にこのように自由に出入りしているのか、そのいきさつについては最後まで分からない。いったいデルは何者なのか。 

 

登場人物の会話も、互いに反応しあって話を展開させてはくれない。言葉を投げかけたものの、相手はそれが聞こえなかったか、あるいは自分が話をすることに夢中だったためか、それに対する反応がないままだったり、まったく別の話が始まったりすることが頻繁に起こる。受け取られていない会話。彼らの言葉のやりとり、時に詩的で象徴的に感じられる表現が交じっているが、それらが状況のコンテクストはきわめてきまぐれなままにしか明らかにされない。しかしこのような空白だらけの私的な台詞の応酬のなかで、観客の注意をひきつけるサスペンスはしっかり用意されている。 

観客はじりじりと状況の展開を待ちわびている。この作品のタイトルは『クリプトグラム(暗号)』だ。となると彼らの会話は何らかの暗号であるに違いない。 

劇中のあらゆる場所、台詞の中だけでなく、人物たちの動きや部屋の様子、小道具等に、暗号を解くためのキーワード、仕掛けが施されているような気がしてしまう。暗示的に感じられる要素の数々に観客は振り回されるのだが、結局は最後まで大きな曖昧な領域が残される。不気味で気味悪いドラマ。観客は当惑したまま終演となる。観客のカーテンコールの執拗な呼びかけにも役者は応えなかった。あれはあえて出なかったのだと思う。 

凄い脚本だと思う。そしてあの脚本にあるサスペンスを巧みにコントロールした小川絵梨子の演出は精緻だった。子役にもあんな見事な芝居をさせてしまうとは。子役の台詞と出番が多い作品なのだ。