閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

ある精肉店のはなし

2013年11月29日(金) 東京・ポレポレ東中野にて“いい肉の日”公開! - ある精肉店のはなし

  • 上映時間:108分
  • 製作国:日本
  • 初公開年月:2013/11/29
  • 監督:纐纈あや
  • プロデューサー:本橋成一
  • 撮影:大久保千津奈
  • 編集:鵜飼邦彦
  • 音楽:佐久間順平
  • 製作統括:大槻貴宏
  • 録音:増田岳彦
  • 映画館:ポレポレ東中野
  • 評価:☆☆☆☆★

 住宅街のアスファルトの路地を、黒毛の大きな牛が壮年の男性に引っ張られながら歩いている。これだけでもぎょっとするような不思議な風景だ。この牛を待ち受ける運命については映画の観客はみなわかっているはずだ。保育園の隣にある殺風景な敷地へと牛は引き入れられる。映画館の観客がつばを飲み込み、これから映し出される情景を待ち受ける気配が感じられるような気がした。額の部分にハンマーが勢いよく打ち込まれ、牛はどおっと倒れる。その後は血抜き、皮剥きといった解体の作業が始まる。皮をむかれた牛は、白い脂肪で覆われていた。

 大阪府南西部の貝塚市にある家族経営の精肉店、北出精肉店は近所にあった市立の屠畜場が閉鎖される2012年3月まで、肉牛の肥育から、屠畜、解体、精肉、小売までをすべて行っていた。このドキュメンタリーは、7代前から貝塚のこの地で精肉業を営む家族の姿をカメラで追うことで、きわめて興味深い庶民生活の社会史を提示している。屠畜の場面は冒頭と最後で二度、丁寧に映し出される。牛舎から牛を出し、住宅街のなかを歩いて、屠畜場に到着。そして屠畜、解体され、枝肉になるまでの過程である。冒頭の場面、牛の額にハンマーが打ち込まれる場面はやはりショッキングだった。きゅっと下腹に力が入った。しかしその後、手作業で行われる血抜き、皮剥、成形の手際の見事さにそのショックはすぐに薄まっていく。最初の屠畜の場面のあと、北出精肉店の家族の日常描写となる。店内での精肉作業、販売の様子、家族の団欒風景、牛皮を使った太鼓作り、盆踊り、だんじりなどの地域の祭。

 そして精肉業と歴史的に深い関係を持つ部落差別の問題も言及される。北出精肉店の長男である新司氏は高校生のころに部落解放運動に出会う。1922(大正11)の水平社宣言にある次の一節に、新司氏は自分の一家の仕事と被差別部落との繋がりの意味を啓示的に知ることになる。

「ケモノの皮を剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥ぎ取られ、ケモノの心臓を裂く代價として、暖かい人間の心臓を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の惡夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸れずにあった。」

 学校に行かず、文字の読み書きができなかった父の屈折、すぐに暴力になる感情表現の稚拙さ、しかしその職人としての誇り、生活者としてのまっとうな哲学。家族に対しては威圧的に振る舞っていたであろう粗暴な父親についての思い出が、北出家の人々から愛着をもって、懐かしげに語られる。

 最後の屠畜の場面、これは貝塚市の屠畜場の閉鎖の日の光景だ。この二度目の屠畜場面も、冒頭と同様に丁寧に、じっくりと映し出される。この二度目の屠畜映像を私は穏やかな気持ちで眺めることができた。北出精肉店の人たちは、粛々と作業を進める。最後の屠畜作業を行う彼らの寂しさと愛着が映像から伝わってきた。

 屠畜、そしてこの職業に従事する人たち、地域にまつわる差別というシリアスな社会的な問題を正面から扱いつつも、映像のなかの北出精肉店一家は陽性で、親密であり、暗さは感じられない。彼らのあまりに真摯で真っ当なな生活ぶりと彼らを見つめる撮影者の誠実な視線に感動し、ぽろぽろと涙が流れる。

 私は映画のパンフを買うことは滅多にないのだけれど、この映画のパンフとそして最後の屠畜日を撮影した写真絵本を購入してしまった。パンフの内容も非常に充実している。写真絵本は、夜寝るときに小2の息子に読み聞かせした。残念ながらそれほど強い関心を示してくれなかったが。絵本を読み聞かせる前に、息子に「牛肉にするにはどんなことをやらなければならないか知っている?」と聞くと、

「知ってる。まず気絶させて、殺してから血を抜いて、それから頭を切り落として、皮を取る。皮をはいだら、吊して、内蔵を取り出して、半分にする」と正確な答えが返ってきたのでびっくりした。

「お前、それどこで習った?」と聞くと、

「お姉ちゃんが持っている『銀の匙』にのってた」

とのこと。